主に筋肉痛的な意味で。熊本に行って参りました。
リレーつばめで熊本まで。リレーつばめ見たとき、外観が鉄なので「これ特急…?」と思ったが中が異様に美しくてびっくり。
まず熊本の市電で城近くに行き、ドーミーインに荷物を置いてからまた市電に乗って本妙寺へ。
本妙寺前で下りてもどこにも寺っぽいものがなかったから嫌な予感はしたんだよ…。市電の通る大きい道から垂直に伸びる山への道を歩いて、そこからさらに階段を上る上る。浄池廟までの階段はまだ平気だけれどそこからせいしょこさん(の銅像)までの階段がね…!もうね、翌日から2日くらい筋肉痛が取れなかった(どんだけ)。いや、そんなにたくさんの階段があったわけでもないはずなんだが…日頃の運動不足と暑さかなあ。(300段とか500段とか聞くけれど、じゃあ往復1000段くらいか…)蘭丸ちゃんたちは殿に報告するたびにこの階段のぼったのか…?
だけどそこから見た熊本の風景が凄かった。よかった。まだ天候もよかったからね。こんな光景見ていたら、守ろうって気にもなるさ。(その同じ光景を見てコーラ片手に高笑いなさった人もいるけど。)
そこから市電に乗って、熊本城前で降りた瞬間に、夕立にあいました…いやぁもう、ひどかった。すげえ濡れた。一体全体、なんちゅうか、傘ってなんの役にも立たねえ。そうだったよな、梅雨はあけたけど、夏はこれだよねぇ…。全く雨がやまなかったので熊本物産店みたいなところに入って雨凌ぎ。
さて、なんか疲れるわぁ…という気分で(まだ雨降ってたんだよ~!)、熊本城には頬当御門から入りました。入るのはここしかない。気分は高耶さんです。
本丸御殿にまず入りました。ここは復元したものですから、新しい香りがします。熊本城ってたくさんの人(ガイドさん?)がいます。あと半端なく中国か韓国かの方々が多くて、びっくらした。ここは台湾だったのかもしらんと思いました。
障壁画がやはり美しい。客室の、横の壁にオレンジのふさがあって、そこの後ろには客人たちの御家来衆がいたらしい…です。すごい。復興はやはりわびさびがなくなるのでどうかと思う。でも、400年も前にああだったら、あーすげえ=あーせいしょこさんすげえ、になる(つか今もそうなる)。
茶室が意外にしっかりしていて、解説によると清正は結構ガチで好きだったようです。うーん。頑張ったなあ。清正ね、こういうの相当頑張ったと思うし、だからこそ嶺次郎たちにも知って欲しかったんじゃないかって思います。
さて、時間的にすっ飛ばすとまずいとこがね、あります。はい。
不開門!2時!
という完全なミラスポットであるにもかかわらず私は覚えていませんでした。…どっちだっけ…。門のこっちかあっちか…。高耶さんが押し付けられたあの石垣はどっちだ…!
しょうがないのでガチで両方ガン見しました。たしかに人気ない(だって天守閣と本丸御殿からちょっと下がったところにあるからたしかに人気はまだない…がしかし私が写真取ってた中でも一団体来たぞ)。
ここ、方角的に汚れたものを運び出すのに使ってたみたいですね。なんでそんなところに呼び出すのよー…。。。

満足したところで須戸口門に行こうとして、ちょっとこれで帰ったらもったいないなと天守閣へ。足ガクガクな中、死にそうになりながらのぼりました。なんでこんなに階段が多いんだよ。。
花岡山が見えました。島津の本陣ですね。本妙寺からとまた別の角度で見えたのがいいです。あ、そうそうホテルキャッスルも一応見ました!近いよ!直江とかならきっと天守閣のぼって窓から高耶さん認識できるかもしれない!(…)
帰りに武者返しのラインをがん見。外にあった首掛石は…ちょっとイタい話…。
そしてもう少し坂を上って加藤神社へ。「仰清正公」と書いてあるのを見てなんだかいけないものでも見てるような気分になる(殴)だって「仰」って…ねえ。つなげて書いてあるし(黙れ)そしてここでも忘れました。どの木だったっけ…?しかたなくあらゆる木をまたがん見してきました。あと「大河に清正を!」みたいな旗もあって、じゃあ名古屋も活発になるなーとぼんやり思います。
熊本は清正マンセーな感じでしたけれど、名古屋育ちにしてみれば、大きくなって…な気分です(え)細川氏とか確か入る際に本妙寺に挨拶したんだっけ。ただのパフォーマンスにしてはあの階段を上ったわけで、それだけで結構感心したぞ。
ここで高耶さんはVS暴れ馬だったわけですが、…結構小さいんですけどこの場所!それから熊本城の天守閣から丸見えですから!きっとあとには…なにも残らなかったでしょうね…。
自分が祭られてる場所をぼろぼろにされた根津の意見も聞きたいところ。(自分の廟所上でコーラ飲まれた意見もついでに)
もうガチで疲れきっているので(たるんどる!)、交通センター地下で「桂花ラーメン」600円なり。選んだ理由?向かいに「こむらさき」もあって、どっちも事前に調べたときに聞いた名前だったけれど、単に「桂花」って名前に惹かれたから(邪道)。熊本ラーメンはとんこつってことかしら。
熊本は城の近くが一番栄えているのでここにホテル(ドーミーイン)を取って正解でした。(交通センターも近いし)市電の辛島近くなんですが、そこのあたりにずっとあるアーケード、あれですよね、清正の目が覚めたりw、八海をぶっ飛ばしたりしたところですよね、高耶さん!
え、ならホテルキャッスル泊まれって?…金がねえんだよ!バブリー直江がいなかった2年間、一体活動資金はどこから出ていたのでしょうか、夜叉衆。よく考えれば色部さんは直江のことを知ってるはずなので、もしかしたら瀕死で霊派同調した直江との最初の会話は、「あのひと(たちの活動資金)を頼みます…」だったのかもしれない。
にしても本来一日目は水前寺公園まで行く予定だったんですよ~。でもそもそも「心があの人に還っていく」場所が工事中ですからね。行く気が一気に萎えましたが、そうでなくてもいきなりの大雨のせいで、熊本城で疲れ果てていました。20歳はもう若くない。ちくしょー…。近くに小泉八雲の旧居があったみたいなので行きたかった…。
熊本編は、高耶さんがものすごく苦難の道を歩むというかこれでもかというくらい災難が来ましたが、あれだけ長かった分、おだやかだと思える瞬間も(ミラージュ比ですが)多かった気もするんです。
例えばぼんやり寝起き&元春とぽやぽや会話していた(笑)あたりとか。
例えば佐伯さんと「これが終わったら萩に行く」という会話をしていたあたりとか。
あのまま萩に行って、記憶を氏康パパの所でゆっくり思い出して、北条の庇護のもとにいたら(そしてそこで直江が追いかけてきたら)。
穏やかな日々が送れたのかなあ。
休んでもいい、また立ち上がれっていうの高耶さん自身の休みがもっと穏やかだったらよかったのに。
というか、それは最終的に直江が高耶さんにあげたものだと思うんですがね、こうね、そんな日々があってよかったとやっぱりしみじみ思うのです。