北原白秋 ~邪宗門

北原白秋wiki参考~

1885年から熊本、柳川など九州に在住。叔父が読書を勧めたらしい。文明開化に急いでいた時代。伊藤博文が初代総理になったり、自由民権運動が活発だったりした時代。

「明星」にハマりすぎて14歳で落第とかまるで今の同人女のようですね。16歳のときに実家の酒造工場が焼け落ちて以来家計が傾こうとも同人を続ける。ただこのことがなんの影響も与えなかったかと問われると、そうでもないような。それなりに日常生活に苦労してなかったのに、ある日突然火災によって、回りの環境が崩れ始める。

19歳のときに自分の作品が賞賛されて「文庫」に掲載されたことに感激して、父に黙って中学中退して(7年目やん…)上京して早稲田の英文科に入学。(今となってはこちらの方がすげえ。)このあたりどうやって生活していたのか。。。ちなみに1904年、日露戦争がはじまって秋山さんとかが萌えることしてた時代ですね。つるんでいた3人と「早稲田の3水」と呼ばれたとか。ちょ、萌え!

注目されてからはどんどん交友を輪を広げ、22歳のときに与謝野鉄幹と九州に遊び(そのときの鉄幹の作品が「五品の靴」、学生をそれぞれイニシャルで書いていたりするあたりはもう同人女のblogである)、北原白秋の実家にまで押し掛けて、北九州~熊本を旅した。(霧島に与謝野夫婦が来たという温泉があったがあれはまた別の機会か?)想像するとこれまた萌えるわ。

この作品のせいでいろんな人が南蛮かぶれになった。信長が300年も昔にハマったことだというのに。

そして「パンの会」を結成。反自然主義象徴主義、耽美主義、官能的で唯美主義。パンはギリシャ神話の享楽の神。東京をパリに、隅田川セーヌ川と思って(この頃から日本人のパリに対する感覚ってほとんど変わってないのね…)、パリのカフェで語ってる稼げないけど芸術家を気取る学生、をやってみたかったらしく、文学と美術との交流を図って興した(と表向きに言ってたらそりゃ格好はつくよね)は、月に数回、隅田河畔の西洋料理店に集まり、美と酒との痴宴を繰り広げた。そのうちただの放逸な酒宴になって消えたものの、ここで色々また生まれた、らしい。なくなった直接の原因は高村光太郎がしくった「黒枠事件」で(でもこれ有名なゴシップ誌にとり上げられちゃったからだよね…馬鹿)、社会主義冬の時代だったことももしかしたら享楽主義に傾いた一因かもしれない。ちなみにメンバーは酒好きだったらしいよ(だからこの会になったともいえる)。ああ、今でもよくあるよね。実家破産のため一時帰郷。

ここまでが邪宗門を語るに必要な白秋の背景だと思う。

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E7%99%BD%E7%A7%8B