赤の神紋 第9章 -Overnight Aria-

-message from the pearly gate-

きたきたpearly gate!受験生だった8月にミラージュのイメージアルバムをツタヤで買い、転がるように火輪まで買っていた私(執愛は大学1年生の大学祭の準備をしに行った帰りにやっぱりツタヤで発見&そく買い、しかも値段が向こうのミスで安くなってたことに地下鉄で気づいてどうしようと友人に電話した)ですが、絶対受験に必要ない英単語として覚えてしまいました。

 新が完全に千秋ポジになってますね。新が、<役者>として、彼にしか言えないことを言っているシーンが好きです。

「俺たち役者は舞台に身も心も捧げるけど、それだけじゃない。役者である前に人間で、だからこそ舞台に立つまでの自分を受け止めてくれる相手を探してしまう」「魔物を抱えるあいつはあんたを求めてる」

ただ役者である前に人間であることを榛原はあまりよしとしていない気がする。そしてケイは、普段のケイは連城を求めていても、いざ相手が舞台になった瞬間には頭から飛んじまうんじゃないか。役者としてのケイだけ見てる状態だったら確かに普段のケイも見てあげなよ!になるけど、全部のケイがほしい、って状態だったらやっぱり連城にとってはキツイ道なわけで。しかもそのケイが見ている相手が一番自分が超えたい榛原。

「演出家にとって思い入れのある役者が別の演出家の舞台に立つのを見るのは、惚れた女が他の男と寝るのを見るようなもん」

のちに郡山に「君は処女かね」という質問をされたケイにしろ、演出家的にその思考は強いようですね。

今度の榛原の舞台に、ケイをどう思ってるか(ケイが他の演出家の舞台に立つことをどう思ってるか)の答えがある。…榛原ったら意外と素直さん♪じゃなくて。演出っていうのは自分をさらけ出すから。榛原の本心は舞台にしか現れないのだとしたら、榛原の舞台というのは榛原の世界であるわけで、その一部である渡辺とか石原とかワタルとか新とかも所詮榛原の一部、なのだ。一番榛原に触れる人でもある。ケイがその世界の一部として組み込まれる。でもケイも、そしてかつては藤崎も、榛原の世界を破壊したり逃亡したりした。

 

-手に入れてみたらどうです

新が言ったことといずれ藤崎師匠が言うことは内容的には割と似ているようなはずなのに、なんでこんなに魔物っぽいのかさすがオリジナルオーギュスト(え

(そもそも、おまが自分の気持ちのままに動いて失敗しなかったことが今までにあったか?)

連城…このとんでもない自虐癖にはときおり目を見張らずにはいられない。おいおい。

(諦念は決して悪いものじゃない。穏やかでいられるはずだ)

諦観は愚か者の結論ですが。(byザユストのアルロン)

 

そんなぐるぐるしてる連城のところに(うわ直江)、子ヤギ…ケイが居候しに行きました。

ケイはワタルが帆津羅を演じるのが怖い。もし連城の作品を演じて、おれのアンゲロスはおまえじゃなかったと言われたら怖い。それが真珠郎を見に行ってますます強まった。ワタルは完璧であったから。ワタルに連城を持っていかれるのが怖い。連城の心にケイがから踏み出そうとした第一歩ですね。

 

…青薔薇事件?ああそんなのあったっけ?

 

-malice fire- 

寝室の隅の布団で、ほたると一緒に丸くなって寝ているのを見たときは、和みすぎて切なくなってしまったほどだ。

こっちが和みすぎて切なくなってきたわこんちくしょ。

ケイは自分の連城への気持ちにぐるぐるしてます。どうすれば連城を救えるか。

連城は自分の息子さん的な意味でもぐるぐるしてます。声をあげて泣きたかったと。その涙はなんの涙なんだろう。もう発火するもののない、みじめで、みっともないものしか持ってない自分であることに泣きたかったのかしら。

そして連城の車はアルファロメオ…なんか人生嘗めてただろお前。

 探偵、新。このね、オーギュストに誰よりも執心して、身も心もオーギュストに生きたオリジナルオーギュストが、二代目のために一肌脱ぎますよって言えちゃうところが千秋だ。イイ人だ。もちろんそのきっかけをくれたのがケイであっても、この人のこの健全さがあってこそだと思う。 

そしてケイはケイで次の舞台がある。勇太はなんか…最初ジャニタレを想像してたんですけど、いまや頭がテニミュなせいでD-Boしか思いつかない笑それかあれよ、KKに懐いていたしょごちゃんよ!でも勇太とケイの関係性は、舞台の上だと完全に失敗なんですよね。…どれだけ懐いていても普通男の子は男の人に抱かれてもいいなんて思わないと思うけどね。まあ。

 

「榛原憂月を捨てなきゃあんたの戯曲はやれないのか」

このケイの言葉が結局一番ラストに近いものだったのだなあと。

「やってみたいって思わせる役ならなんでもやりたい」

「ならあんたは自分のだと思った役を他人にとられる悔しさがわかるのか」

「不安なのは役者の方なんだ。いくら演じたくったって選ぶのはそっちなんだ」

役者は浮気性な女だけど、演出家は尻軽な男ってことでいいですか(…

できることはなんだ、あんたが好きなのになにもできないオレにできることはなんだ。とケイに言われて押し倒すくせに衝動のままにも走れない連城。…あーあれですか、Nothing to lose…ってやつですか…(状況)

泣いた理由は一緒。手に入れたいのは天使の魂なのに。神のものなのに。与えてやれない天使は慈悲で体を与える。手に入れたいのはケイの魂なのに、それが榛原のもので、榛原に潰されてきた連城にはあげられないからせめて体を。そんな憐れみにすがることしかできない自分がみじめで。

ケイはその分自分のずるさをさらけ出される。向き合うという天使はその実劣情をもよおしていたけれど、そんなことに人間は気づかない。天使は自分で自分の天使ではないことに気づく。「精神の<肉体>」=「オーギュストを生む肉体」を望む連城に、結果は一緒でもまったく違った目的で答えようとしたケイはやはり天使ではなくて。

出口が見えない…(火輪のときもこんなことあったな…)