呉●周瑜公瑾

美周郎と呼ばれたというのは、美しい、周家の坊ちゃん、という、つまるところいいところの坊ちゃん(分家)。

音に間違いあれば振り返るとまで言われてしまったとは、相当音楽にこだわりがあるご様子。楽隊はひやひやだったろうな。

そして孫伯符なしではこの人は語れない。小さい頃に、「公瑾はよくできるね、そういえば孫家にも同じくらいの年の子でやっぱりできる子がいるらしいよ」と(たぶん)言われたのにきっとカチーンときたはず。で、どんなもんじゃいと会いに行ったら断金の仲に。

たとえば公瑾=天然、頭でっかち、策略家、ストッパー、参謀、秘書(笑)⇔伯符=人望あり、わんぱく坊主、猪突猛進、思い込んだら命がけ、強い、ヘッド、社長、っていうイメージは結構世間(ただし女性限定笑)では出回ってると思う。

私が思うに、公瑾は受けで間違いないけれど(なぜならば伯符に受けがありえないから)、伯符と同じくらいイカレた人。

そもそも自分の方が家柄がよくって、顔も同じくらいよくて、頭ははるかに自分の方がまわって、っていうのに他人の下につこうと思うか?普通思わないって。

そんなに「世間に対する自分」ってものに固執しないと思われる。自分ってものに絶対の自信があるから。さりげに人に褒められたがりぃ。坊ちゃん育ちで自分が自分がって前に出るようなたくましさ?ってものはない。他人に必要とされるとか、組織の歯車として頑張るとか、そういう使われることで価値を見出すような。

「旗あげしたけど来ない?お前いると俺すっごく助かるんだけど」とかさらっと言えるのが伯符。「がってん承知!」と答えられる自分がうれしいのが公瑾。…あれ?すれ違い?

孫家は漢万歳だけど、たぶん公瑾は漢とかどーでもいいの。ふうん漢ね。いやなんつかね、漢がすげえって聞かされて育ったけど、そんなに漢に尽くしたいんだったら普通に出仕してるよ。こんなこと(=参軍)してるわけないじゃない。だってこっちの方が面白いでしょ。自分必要としてくれてるのこっちでしょ。伯符ちょっと、みたいな。

伯符と喬家の美人姉妹を分け合って結婚したというのが恐ろしい。なんでこんなに仲がいいのかって話。まわりに「そろそろ結婚が」とか言われていて、伯符におまえどっちかやるって言われてじゃあ妹でいいよ伯符主君なんだから姉貰っときなよとかいう感じで結婚したと思う。(え)

伯符が亡くなったあとも、離れていこうとする人が許せない。自分の美学というか、義、に反するという。頼られたら断れない。

軍事の最高司令官な大都督になれるんだからもう相当だよね。人材コレクター曹操に「孫軍なんて見限っちゃいなよ」って言われても離れない。そういうね、上から目線嫌いなんだと思う。おれにはこれこれこういう理由でおまえが、おまえだから必要なんだ!!って言われたら気持ち揺らぐかも。

赤壁大軍団で来られたら小軍団で打ち返したい心意気。魯粛と二人で「開戦!」って言ったとききっと呉の文官は頭抱えたと思うぜ。江東の狂児と言ってることが同じなあたり公瑾さんイイ根性してますよ。「ふざけんな戦わずして降伏とか舐めてんのか」って感じ。若いなあもう。いくら曹軍で疫病が流行っていようと船の扱いに不慣れだろうと、勝てる勝てないなんてわかんないと思うんだが。でもね、自分のシマ荒らされたら黙って見てるわけにいかんだろ男として。ああもう立派な不良になって。

基本的に呉にいる武官で家柄がいいやつは、「素直に世間一般で言われる王道を走るのは嫌だ」タイプが多い。つまり盗んだバイクで走り出したらいつのまにか呉って国になってたよ、と。ちなみに家柄が良くないタイプはたいてい不良。みんなして熱いぜ。呉は極道一家ですから。暴走族が大きくなって極道になったような集団ですから。

…実際は強くて頭もよくて顔もよくて育ちもよくて寛大でっていうおまえできすぎだろな男。でも実際そうなんだからしょうがない。三国志は正史はたぶん曹サイドで書かれたと思うけれど、その正史がこう言ってるんだからしょうがないじゃん。

あ、ひとつ欠点。子供を育てる余裕がなかったんだなきっと。ていうかたぶん、自分が死んだあとの世界にまっっったく興味がなかったんじゃないかな。

 

レッドクリフの時の私のときめき。

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呉が、好きだ。

レッドクリフが見たい。 

赤壁周瑜がちゃんと主人公になった映画がかつてあったであろうか。

中国の三国志モノを見ては、「天は何故」とか周瑜が叫びだした時点で早送りしてきた苦労が報われるのね(ぇ)

私は正史ファンなんで。演義は無理。

呉と魏ファンであって、蜀はちょっと…という珍しい人です。

だって、赤壁は完全に孔明の出る幕じゃないよ!

曹操に派手に負けたあとの人たちがしゃしゃり出てくんなぁ!

もちろん軍略的に見ればあの時蜀が呉にすりよったことや天下三分の計は彼らが頑張った証だと思うけれど。思うからこそ!

孔明のわけわからん呪術で片付けるなよ。

つーかあのときの孔明はいわば知る人ぞ知るでも青二才だったわけで、

周家の御曹司で呉の左都督やってた周瑜とどっちが名が売れてたかってそりゃ周瑜でしょう。人材マニアの曹操も招いたし。

あとは、魯粛はどうなんかな。

強硬派の周瑜呂蒙にはさまれてともすればヘタレ扱いされるけど、彼はもともと江東の狂児だったわけだし。

「米かして♪」「おうよ蔵持ってけや」みたいなぼんぼんよ!

…なんか私のなかの呉って、肥沃な土地を後ろ盾に、孫家とその他アウトローに育ったぼんぼん共なイメージがあるんじゃないかと思い始めた。それを程普や二張が諌めてる感じ。

陸遜はそのあたり、うまく制御できなかったというか。結局孫家の男ども(いや尚香もか…)は性格は一緒やね。

魏は…いやあ、曹操郭嘉と荀いくと…etc好き。曹操のバランス取れているようなところがいい。出自が故とは一概には言えないけど、だからこそとらわれない観点があったと思う。

つーかぶっちゃけ格好いい。

とにかく私は、演義でコケにされてる人がたまんなく好きなの。

だって実力のあるひとをコケにしてこそ主人公が引き立つっていう演義だから。(儒教に反してる…って?知らんわそんなん)

 

というわけで、私は策瑜なんです。(いきなり宣言きたー)

それと、曹郭なんです。

大三國展に行って来ました。

いや~、最近レッドクリフが熱いから呉プッシュかと思って期待しました。

三顧の礼赤壁五丈原

いやいや、完璧孔明プッシュやんけ!

というわけで、展示はあ~、と思いました。

でもシアターが結構よくて、三國志初期を魏、中期を蜀、後期を呉で表現していました。まぁ根底に孔明らぶ!がありますが。

曹操も為政者としての面が写っていましたし。

孫権は19歳の時に孫家を継いだことで、なんか茶髪のにぃちゃんが刀背負ってました。孫策ならしそうだ…。まぁ孫権も孫家の男と見れますからねぇ。

あと、パンフレットの記述、いろんな方が三國志について語ってるんですが、蜀について見直そう、演義について考え直そう、何故中国では演義が受けたのか、みたいなのが多くて、嬉しかったですね。

やっぱ私、孔明は軍師ではなく、実直な政治家だと思うんです。

ていうか孔明、ぶっちゃけ軍師としては無能だよね。