トーマの心臓 Lost heart for Thoma

 

  

やwりwやwがwっwたwwwwって最初見た時は思いました。(え)

高校時代に読んで、すごい感銘は受けた、はず、が、内容さっぱりおぼえてねえええ!!!むしろポーの一族とか11人いる!とか銀の三角とかは一応覚えているのに。あと同じくトーマの心臓がモチーフの、恩田陸ネバーランドとか。一条ゆかり砂の城が最初のあたりそんな感じだったとか(あれも鬱な話だったがときどきナタリー話になるので一概に少年の話とも言えなかったが、視点が広がったことは確かだ)。

でも、ラストの、

これがぼくの愛 これがぼくの心臓の音 君にはわかっているはず

僕の翼をあげる

というシーンと、それからオスカーが好きだったことは全力で覚えていました。(何)

 

とりあえず、なんで舞台を日本、登場人物をあだ名、理工学部にしたのだろう…と。日本女性にとって、ギムナジウムというのは少年たちの園なのだ。パブリックスクールもしかりだ。リセもだ。そこに根性や汗は登場しない。夢と憧れの方程式として貴族は英国もしくはフランスであるように!!…っていう人が多いからかしらね。そんなところを崩そうとも話の素敵さは少しも損なわれないというのか。それともそれが日常という中にきわめて簡単に入り込むことを言いたいのか。それならネバーランドのようにモチーフにした方が私は好きかも。

 

視点はずっとオスカーで、そうであるからこそ、なんというか…、トーマの心臓を読んだ二次創作者が書いたオマージュ的なのかなあって。それならそれで楽しめます。全力で。て言うか日本設定忘れてました。

オスカーが、あのとき自身の闇も抱えながら軽く見守ってフォローしてたように思えたオスカーも、色々…、ねえ、ってか。ワーグナ教授も最高です。かっこいいです。素敵。あとマリア先生。エゴだと思わないか。単純に。冷静に。言葉を飾らずに。君の方が。

 

我々が間違いだらけだということを神はとうにご存じだし、すべてを既に許されている。

僕がこの道を選んだのは、結局は自分が救われたいからだよ。

キリストが説く原罪の救いというものもさりげなく。

罪深い人間はイエスの犠牲によって解放される。イエス自身の犠牲(トーマ)によって人間(ユーリ)は救われた。それはユーリが望んだものじゃないけど、それでもユーリを愛したトーマは自らを犠牲にした。もともとキリスト的な、救う、とか原罪、というのは、なんでそんなこと言うの、みたいな気分にさせられて嫌だったんですが、ユーリが、私の観念で言えば全く彼はけがれてなんかいない、それでも本人はけがれた、罪だと思ったんなら、それは罪なんでしょう。だから、個人的には気づいていないだけで、いつか私も人生のどこかでそういう罪を背負うことがあるかもしれない。と。そしてキリストも、そんな恩を考えて行動したわけでない、と。歴史好きーとしては色々あるけれども、それでもひとつの宗教と、それが生き残ってきた今を考えるとき、この考えは割と納得のいくものです。

 

最後の対比が。日本人の優しさと、それからそれとは違う西洋人の優しさ。それを持つ教授。教授のやさしさに触れて泣きたかったオスカー。泣けたオスカー。それはトーマがユーリに与えたものに似てる、と考えたオスカー。オスカーはユーリとトーマを通じて自分自身のトラウマを救った。たぶん教授は、ユーリをオスカーに救わせようとは考えてなかったと。オスカーを救うためだったんじゃないかと。ユーリはすでに自分の行き先を決めた時点で、相当安定していたわけだ。

 

ものすごく、淡々としたあたりが、すごく、ね。オスカー視点でよかったなあって思います。森さんが、分析し、その結果、オスカーも自己分析が結構激しいように思うのですが、あの時、なにもできなかった、でもなにかが変わった、という感じのオスカーについて、澄んだ美しい物語が読めたのは、割と幸運ではないかと思っています。

 

原作を捨てるところと拾うところの取捨選択は森さん次第。あのときの、ユーリの内面、翼をもがれた、そしてトーマの、僕の翼をあげる、ということ、これはアガペーだと思うけれど、愛を、信頼をあげる、という、どろどろ…を、オスカー視点でぜーんぶ解説されたら、いやオスカー視点じゃなくても小説で解説させたら、それはそれでなんか違うと思う。だってあの絵がないから!あの絵によって同じ話でも随分違うの!ユーリの宗教観について悶々とさせたいなら桑原水菜がいるわよ(笑)

トーマの死だって「まぶたの上に生き続ける」んだから死んで心に残るっていう気持ちもあったわけだと(死は永遠にないのだ)思うの。トーマの死によってユーリが愛を知り心を取り戻して、そうしたら自分を、自分でなくても自分が与えた行為はユーリの中に、たとえユーリが誰を愛そうと消えることはない、なぜならその気持ちを取り戻させたのは自分だから…って。

 

友人曰く(森作品初読み)、「まずなによりトーマの手紙全文が明示されてないことが不思議。日本的なアレも不思議。オスカー側から入るにしても訪問者読んでないと何が何だかわからないんでない?ユーリとエーリクの関係ももやもや。年齢設定が高め」だそうな。よく読んだな…。私は実は流し読みしてたのか?って思いました。まあ確かにオスカーと二人で行っちゃったあたりはあれ?と思いましたが。

「てなわけで「オスカーの憂欝」に名前を変更します。類似作品のそれとは一切関係ありません」って感じだそうな。きびしいな。まあ題名はそうだと思います。同人誌と思えば完成度の高い同人です。