メステレ・フランシスコ

調べるまでもない!ザビーktkr!愛のキャノンで全てをふっ飛ばすよー!愛が満ちていくよー!(違う)

ザビエルは、カトリック系スペイン生まれ。Fresh&Blood読んでるとぬおおお!って思いますね。早く続き出ないかな。モンマルトルの誓いって若いなザビ様。

ザビエルは鹿児島で布教する日々の中で、福昌寺の住職で友人の忍室と宗教論争を行う事を好んだ←なんかわかるわー!っていうかザビ様つまりはキリストヲタだったんじゃないの?

男色を罪とするキリスト教の教えに大内義隆が激怒したために山口を離れ…って待って大内義隆!なにそのエピソード聞いてないよ!(爆)面白すぎるから!!

京は足利幕府の権威は失墜しており、後奈良天皇が居住する御所も荒れ放題であった。ザビエルは比叡山で僧侶たちと論戦をしてみたかったが、比叡山から拒絶された。天皇への拝謁も献上品がなければかなわないことを知ってあきらめた…←うーんきつい。っていうか論戦してみたかったってやっぱりただのヲタ…。

貴人と会見する時はどこでも外見が重視されることを知っていたザビエルは一行を美服で装い、珍しい文物を義隆に献上した。(←このときはあったのに京で帝に献上でききるほどのものは持ってなかったってこと?)義隆は喜んで布教の許可を与え、ザビエルたちのために住居まで用意した。←義隆さん!なにそれは!いやすごい人だったわかってますけどね。だからって天皇とも会えなかったザビ様が京都に行って帰ってきた間になんの心境の変化もしくは財政の変化があったの!?このころ鎮西公が22歳の青年であったことも感慨深い。

ザビエルは日本人の資質を高く評価し、「今まで出会った異教徒の中でもっとも優れた国民」であるとみた。特に名誉心、貧困を恥としないことをほめ、優れたキリスト教徒になりうる資質が十分ある人々であるとみていた。これは当時のヨーロッパ人の日本観から考えると驚くべき高評価である。同時にザビエルが驚いたことの一つは、キリスト教において重い罪とされていた男色(同性愛)が日本において公然と行われていたことであった。←そういう時代だったのよっ!!ほっといてちょうだい!400年後にたくさんの女性がenjoyしてるんだからいいじゃない!

ちらっと思ったのは、こういう感想が述べられるってことは、ザビ様は結構日本を気にいっていて、まあ属国にするしないの話はあっても、役に立つ駒だと認識したんじゃないだろうか。でも、ってことは、キリスト教に感じ入ったふりしてザビ様たちを襲った人たちはいなかったのかなー。当時の日本がそれほど南蛮人に優しかったとも思えないんだが…。どうやって暮らしていたんだろうか。物乞いしか思いつかないんだが…?