ディア・ドクター

ディア・ドクターという題名は、dear doctor…お医者様へということなのでしょうか。これは伊野先生へということなのか、全てのお医者様へということなのか。

もともと「きのうの神さま」って題名みたいですから、変えたってことになりますよね。(しかしポプラ社…)

 

ディア・ドクター

ディア・ドクター

 

 

33回日本アカデミー賞で最優秀助演女優賞余貴美子がとってらしたんですが、さすがです。怖かった。

気胸の判断の時とかまじ怖かったし。でもX線でみたらすぐわかるやん気胸なんて。勘三郎がいきなり出てきて驚いたけどな。

医者に何が必要かって、テクかコミュニケーションかって言うけど、これは間違いなくテクがなければ助けられなかったシーンだと思う。丸くは収まるかもしれんし、あの村にはそういう存在が求められていたかもしれんが。

 

「無免許なの」と最初に言うのが伏線になっているとは。最初え?無免許なの?ってガチで思って、そのあとあ、車のことねって思ったら、マジやったし。

ただ「免許」というのは、「ここまで勉強しました」っていう資格のことですよね?少なくともここまではちゃんと教育されましたってことですよね?

だから伊野の尽いた嘘というのは、「自分が医者である」と言った(かどうかは知らないけどそう思わせた)ことで、それが罪ですかって言われたら罪ですよ。それが罪と法律が決めてるんだから。それが罪じゃないなら無免許運転だって罪じゃない。

 

香川さん相変わらず神ですよねー(真顔)

伊野には「人のためになる自分」が好きって気持ちがあったと思うの。でもそれだけじゃないというのが、あの椅子を倒すシーンにはあると思う。「手を差し出したでしょ?」って。手を差し出すっていうのは「他者への思いやり(この言葉への問題点は今はおいておこう)」で、それも伊野は持っていたと思う。

 

僻地医療についてのシーン。たとえばおじいさんが気管に何かを詰まらせた時に、措置をするかどうかを家族の表情を見て決めるの。お嫁さんは(たぶん)介護に疲れてる。だから送管も望まない。

それは僻地に限らずどこだってそうだと思う。あの場では伊野が家族関係を把握してたからいいようなものの、訴えられる心配がないからまだいいけど、(家族のための)尊厳死じゃないか。都会であれを本人の意志なしでやれるわけない。

そしてその場で優先されたのは、これから生きていく家族の幸せだったと思う。結局多数の幸せを選んだんじゃないか。「よう頑張った」っていうのは、生きてきた人生への敬意もあったと思うけど、その家族の中でっていう意味も含んでいて、その家族の中で生きるのが患者にとっての幸せかわからなかったからじゃないか。

 

「一緒に、嘘ついてくれません?」都会の病院で死んだ旦那のようになりたくないとか。娘に迷惑かけられないとか。もう環境を変えたくないとか。

で、この嘘がどうかってそりゃ別にいいんでない?と。だって患者は母であって娘じゃないもん。義務はない。罪にはならない。

娘の方は父の異変に気付いてやれなかったことを後悔している。互いが好き合ってるけど、でも冷静に考えてお互い自分の想いが優先してる。それでいいと思うけれど。

 

そして白衣を脱ぎ棄てて逃げてしまう。それは「次に逢うのは1年後くらい」って娘に言われたためだと思う。末期がんなんだからもうそれでは手遅れで死んじゃう。だから自分が逃げてしまえば娘に従わざるを得なくなる。自分のことより約束した1人の人のことを考えたんだと思う。だって彼女は「がんでしょ」って一応覚悟はしてたもん。それでもたぶん伊野がいれば頼ってしまうから。

 

でも1499人は見捨てたんじゃんと思う気持ちが抜けない。たとえば最後に子供がぜんそくだか風邪だかで苦しんでて、看護師が抱きしめるしか出来ないっていうシーンがあったと思う。他にもいたかもしれないし、そもそも先生自身があの村の精神的な支えであったことは理解してたと思う。

たった一人のためにそのような行動に出たことはプロフェッショナリズムが極まったためかもしれないが、でも全体的にみたら1人のために皆が犠牲になったんじゃないかって思う。

 

「ペンライトなくした」ってお父さんに言うシーンがあって、ペンライトはなんの象徴なんだろうって思うと、医者であること、なのかな。ペンライトを蹴って八千草さんのところに行くシーンとか。お父さんの象徴。なかなかコンプレックスあるみたいだけどさ。

ペンライトを使ううちは、自分が患者に対して医者であることを課していたのか。

だからそのペンライトなくしてしまったっていうのに後悔があったように私は思ったので、見捨てたことへの後悔はあったと思うの。

 

つい来てみたら毎日が必死に過ぎて行って、その中で確かな頼られる、救える喜びがあって、真面目に勉強していたりしたけれど、最後には爆発したって取ることだって出来る。

瑛太が「きます」って言ったから逃げてもなんとかなると思ったのか。看護師の尻を叩いて逃げたのは「頼む」って思いだったのか。でもそれは技術の問題だよ。メンタルの問題、一番彼の得意分野であることを一番彼が理解してなかったんじゃないかって思う。

もっとやり方があったんじゃないかとか。自分の保身に走るように「お母さんに言われていますから」って告知を拒むことも出来るんじゃないか。

 

そして警察さん。つかまえて!そこは捕まえてよ!訴えがどうなるか知らんけど、あの村に彼を引きずって返してあげて!

 

コミュとテクと、どっちがいい?とはよく言われる。正直コミュ力がないと言うことほど、客観的判断が出来ないものはないと思う。だからあまり判断基準にならないと思うのだけれど、ただ私は自分のまわりの多数の人間にとってよい医者でありたい。

なんかこんなこと思うこと自体アレかもしれんが、だがしかしこういうのは組織的ではないよね、と。。組織的であった、たとえば富国強兵やら高度経済成長では豊かになるけど、個人の不幸があって、だから個人の幸福を追及してくと、結局組織は強くならないで不幸になるという。。。