帝冠の恋

帝冠の恋 (コバルト文庫)

帝冠の恋 (コバルト文庫)

 

私が日本史を愛し始めたのは、知っている歴史と歴史がつながっていくことに快感を覚えたからだと思います。この本はまさしくそういう役割を果たしていました。というかゾフィーとフランツという人がそういう人だった。

ベルばらで知ったフランス革命、その後に出てくるナポレオン、そして天愛でのフランツ・ヨーゼフ。彼らの間をきっちり繋いでくれました。

 

ゾフィーってバイエルンの出身だったのね…。そしてまさか双子ちゃんだとは思いませんでした。まったく萌えポイントではなかったので、素直に驚きましたね。

明るく快活なミュンヘンに帰りたい。あれどっかで聞いた台詞だ。ハプスブルグの礼儀作法などが「成り上がり者=ナポレオンに抵抗する唯一の方法」として考えられたなら、ウィーンの変化も納得のいくもの。エリザベートはそこから逃げたし、2度流産したって旦那との中がどうだってゾフィーは逃げなかった。だから「帝国宮廷ただ一人の男」と呼ばれたわけだし、それはものすごい揶揄も含まれていたと思うけれど(伝統を重んじる宮中ではなおのこと)、それと割り切って政治に口を出したのだから、立派だったと思うの。うん、ハンガリー独立にだけ口を出したシシィよりよっぽどね…!

皇帝すらも恋愛や思慕を考えて一瞬口走ったのに、ゾフィーはそれを一蹴した。男が女に「こうある」と予想した恋愛すら超えたのなら、ゾフィーにとっての夫は、やはりカールでよかったのではないかしらん。

「フランツがいなくなっても、あなたは幸せになれるのですか?」

「私はもう、幸せになる必要がないの」

そしてかつてのMの立場に、彼女は立った。Mと、それから皇帝はかつては本当に素晴らしかったけれど、それは時代の流れと共に通用しないものになってきている。薄々気づいていたって、それでも口を出したくなる。だから彼らを時代から引退させるには、もう新しい人たちがやりこめるしかないのだと、最近思うようになりました。おまえになら、跡を任せられる、みたな人でないと、もう素直に渡せない。ゾフィーもそうだったし、そしていつかはフランツ・ヨーゼフもそうなる。(あなたがいたのでは、身動きがとれません、のあたりの話)

 

「ジョセフは、鷲なんです」ナポレオンって昔“鷲”って呼ばれていませんでしたか?鷲と呼ばれた男に憧れて、でもその鷲がいつか剥製と知るフランツの心の傷やいかばかりか。

ただ恋愛に関してはフランツは…ええ、もうなんというか、ゾフィーなんぞよりよっぽど子供だったと思います。その子供さでなければマクシミリアンはできなかったとは思うけれど、それにしても、ねえ。

 

それにしてもおロシア様はおロシア様ですよねいつの時代も。ごめんアリョーシャ、やっぱロシアは怖いっす。

 

色々何が正しいのかわからなかったので、とりあえずwikiったところ、病気に倒れたゾフィー大公妃を必死に看病し、大公妃の最期を看取ったのは激しい対立関係にあったエリーザベトである。ゾフィーはエリーザベトと最期になって初めて和解したと見られる。とか書いてありました。即刻頭脳からこの一文を消去しました。個人的なウィーンのシシィ博物館やシェーンブルグ宮殿でのイメージはこんなシシィ寄りのものではなかったから。どう考えてもハプスブルグに貢献したのはゾフィーで、シシィなんて後世の映画とミュージカルが作り上げたイメージが先行してるだけじゃん!と。

オーストリア宮廷ではナポレオン2世ライヒシュタット公)と仲がよく、次男マクシミリアンの誕生に際しては「マクシミリアンは2人の不倫の子」の噂が立ったことがある。とも書いてあるのでこっちは信じることにしました。我ながら便利な頭脳ですね。

ちなみにライヒシュタット公こうでした。まさに天使のような肖像。何故にゾフィーよりも長々と書いてあるのか、どなたか熱狂的なファンでもいらっしゃったのでしょうか。まあ作者さまの言う通り、「マザコンファザコン」としか思えないけれどね。皇帝もゾフィーも親しく接したようだし、彼はどちらかと言えばお馬鹿さん(少なくともルドルフ様と比較すればよほど!)だったのではないでしょうか。

“M”ことメッテルニヒ。「会議は踊る、されど進まず」だけど、イメージはもう少し浮名を流すお軽い感じだったので、ここまで政治家政治家している彼は意外でした。そりゃナポレオン嫌いかもしれないが、そういうお前だってナポレオンの妹と仲良しだったろうがっちゅーに。