大町、黒部へ。

8月27日。
朝起きたらなかなかいい天気で、旅館のおばちゃんにも「今日は久しぶりに山が見える」なんて言われる、そんな天気。持ってるな俺!
ちなみに「昨日着いたの遅かったねえ」とも言われたので、「いやー特急が雨で遅れて」ともごもご言い訳してました。

荷物を預けて、まずは天気のいいうちに山の上に行こう、と思い立ちます。
だって黒部って、雨が降ったら超悲惨って言うし。

信濃大町からバスで40分、扇沢駅に到着します。
信濃大町からのバスは、前日の夜に旅館のパンフでチェックしました。1本/hrくらいの頻度であります。往復は2400円。
そこから関電のトンネルトロリーバスに乗って15分で黒部ダムへ。これも往復は2500円。
わかってる。観光地にとってのこういうお金がすっごく大事ってわかってる…!だけど高い
バスを使い続けたら、立山駅まで行くことが出来ますが、私の目的は黒部ダム。なので、今回はここでストップです。(後輩にここ歩いてきましたって子がいたけど…こわい)
関電のトロリーバスでは、黒部の歴史について教えてくれます。
トロリーバスは一切排気ガスの出ない、電気で動かしている環境に優しいバス。
でもこのトンネルを作るには、なかなかの苦労がありました。
戦後の経済復興に伴い本格化した電力不足。水力発電の必要性。豊かな水量と大きな落差から、水力発電に適した黒部。しかし、自然の力がダム開発を阻みました。くろよんの建設は7年に及びましたが、ついに完成したのです。
というお話。あれこれどっかで聞いたような話ですね。経済復興には…電力が…。
このパンフレット、水力電力原子力で安定した電力供給をって書いてあります。ちょっと虚しい。
青い蛍光灯のついている破砕帯はあっと言う間に過ぎてしまいます。80m程度の距離です。
でもここをどうにかするのに7ケ月もかかった難所です。私、黒部の太陽って全然知らなかったんですが、石原裕次郎香取慎吾も映像化しているみたいだし、ここは一発読んでみようかと思いました。

ちなみにトロリーバスに半袖で挑んだ私は本気で寒かったので注意が必要。なにこれ冷房要らずとはまさにこのこと。でもこんなところに住んでたら鬱になる。
さて、黒部ダムの放水です。
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ドドドドド…
虹もかかっています。
日本人がほとんどでしたが、アジアの観光客もいらっしゃいました。たぶん中国の団体客とか。
うーん間近では初めて見ましたが、これはこれは…。
どうしていままで黒部ダムで殺人事件が起きないのが不思議でなりませんww
上からドン!
こんな勢いで流れてるもの。すごいエネルギーだと思う(いやだからこそ計算して作ったんだと思うけどさあ)。
それにこの土地、他になにもない。バスの通った道に「熊に注意」って書いてあったくらいなのよ。
地元の力が強かった土地だと思うし、こんな自然の綺麗なところに電力のなにこれ?みたいな工事し始めるには、きっと土地の有力者とのたぎる攻防戦があったと思うのよ!それでさらにそのあとあれよ、破砕帯でしょ?
すげえ。この発想はなかったみたいに言われるのはこういう事業のことだと思います。

ここでは私、ダムの写真も撮りましたが、それ以上に周囲の写真撮影してますもんw
本当に綺麗なところだと思います。

ダムでは食べるところももちろんあって、ダムラーメンが面白い。黒部ダムカレーは大町のご当地カレーって書いてあって、ご飯でダムの堤を模しているの。
しかし黒部ダムって一応土地的には富山にあたるのよね。このあたりの利権ってどーなってんのかなあ。

帰りでも、トロリーバスではまた違った解釈が聞けます。
黒部の語源はアイヌ語のガルベ、らしいのですが、っちょ、なんでアイヌ?ここでなんでアイヌ
よくわからん地ですわさすが諏訪に近いだけのことはあるぜ。 
それから佐々成政立山黒部超え。雪深い山を8日かけて家康に援軍を頼んだ彼。それで断られてまた帰るとかもう切なさ半端ないと思うけど、そこまで来たらもう腹くくるしかないもんね。
諏訪はその時、一体誰側についたんだろう。一応佐々を通したんだから、完璧秀吉サイドってことはないよね?