十二国記を読んでいて、最近飲み会をよくしていて、その二つから導き出された結論。
「優しさというのは、ただ人を腐らせるだけである」
だから私が今までただただ優しくあろうとしていたのは、まったくもって周囲にとってよいことではなかったのです。
自分が周囲を甘えさせる存在に腐っていただけ。愛されるより愛したいが概念の私には居心地がよかっただけ。
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十二国記を読みながら飲み会から帰ってきたら、こんな文章打ってました。
一言で言うなら、最低ですよoせんぱい。おまえはいくつや。もう本当にクズだなおい。
さすがにこの一行にはびっくりです。私はもう何がしたいのか。
ていうか10月ってなに?私の9月は時間泥棒に盗まれたようです。
さてはて十二国記。こういう短編集だろうが連作だろうが長編だろうがどんとこいな小野先生やっぱりすげえ。
冬栄
もうやめて!戴国のライフは少ないのよ!!
だからさあ、幸せ戴国時代を書くのはやめてあげてください。可哀想だから。こっちが可哀想だから!冬がさ…終幕にならないのよ冬が…
そしてこのお話がまさか黄昏のフラグになるとは。阿選が出ると無意識に身構えてしまう。軽いトラウマです。
とりあえず第一感想は、「なにこのショタ」でした。
ショタじゃん…ただのショタじゃん泰麒…。
「じゃあ、僕、驍宗様のお腹がいっぱいになるよう、頑張りますね」おなかのすいた虎の近くに不用意に寄ると食べられてしまうのですよーって昔話で教わりませんでしたかー。
乗月
月渓が峯王が大好きだったというお話。(なにそれ)
そしてあいかわらずな珠晶。だって彼女が王になった時なんて、本当に大変だったと思うんだ。それで今90年持たせてるんだからすごい話だ。12歳とかもうどうなの。頭なんて下げられるか!無意識のうちに手加減してしまうだろ。それであの性格だったらキレるわ。
「委細構わず叩き出すわ。そうおっしゃい!」と言っている珠晶の姿が目に浮かぶぜ。
書簡
時代的には陽子が玉座についてすぐの頃かしら?「六太くん」と呼んでいるシーンが一度もないのですが。
そして威厳だなんだいらんって全部売り払った王がいるけど!延とかいう人が!
まあなんていうのかな。さすが楽俊です。珠晶と気が合いそう。「偉そうでない王様は、責任を軽んじていないように思われる」っていうのがすごい身にしみた。
延王はそういう意味では珠晶のことがすごい気に入ると思うんだ…。
本当はうまくいっていなくても、つつがなくって言うことで、誰かをしゃんとさせる力がある。ああ、黄昏で「他人を助けることが意外に自分の助けになってる」って言った六太と一緒だね。
華胥
「華胥の夢を見せてあげよう」と、その男は言った。
この一文を読むだけで涙が出ます。
あと最後。きっと訃報のはずだ。―朱夏は夫を信じている。
どう読んでも砥尚と栄祝の愛憎劇に見えるのは何故でしょうね。だって青喜以外は女ばっかり生き残っちゃってまあ。
青喜がいっそ王になればよかったのに。まあもちろん黄姑が王になって今があるので、それはそれでいいのですけれど。あの子が賢すぎて…なんというか、夏。(え?)ところで彼は彼女のことは好きだったのかしら?
さて、相変わらず小野先生が書くミステリというかホラーは怖いですね。読んでいるうちにぞくぞくしてくるぜ。
彼らは「過ちをおかした」わけではないと思います。ただ、失敗した。それだけ。それだけで、だけどやり直せないことをしてしまった。もちろん王だから「やり直せない」設定にしているけれど、現実にも、「やり直せない」職業はたくさんあると思います。無能であっては許されない者。たとえば医者とか。
「責難は成事にあらず」。
帰山
だからおまえは洒落になんねーことしてるんじゃねーよ!!>延王
慶とかハタから見たらまったく未来が予想できないのですが、十二国の人間に言わせれば「なんとかなる」対象なのよね。不思議。これが主人公補正というやつですか。
まあとりあえず、一つの王朝が30年くらいちゃんともったらそれはそれでいいと思います。決して短くないよ!