酒飲んで帰ってきたら全く何も手につかない。しょうがいないのでネットをします。怖いですね。
そんなに飲んでないつもりなんだけどな…。
すっごく昔に大好きだった本というのは、時が経っても色褪せないものですね。
あの時の気持ちや雰囲気を今でも繊細に思いだすし、だからこそ私は昔本をたくさん読む子供でよかったと思うし、自分の子供でもそうあって欲しいです。
私が小学生のときだったかな。中学受験の赤本にこれがやたらと載っていて。
まあたぶんその前年かそこらに流行ったかなんかなんでしょうけど。たくさんたくさん。
その頃を思い出しました。
ひと夏のお話ではあるのですが、ひと夏、というとこういう思い出を思い出すのかな?
私にはひと夏の想い出というものはそうそうなくて、だからまあ子供には絶対旅行とか連れてってやんない!と思うけど(大概忘れたからな!)でもしつけとかのためには連れていってTPOをわきまえることを肌で感じさせたほうがよさそう、なんて。
昔を思い出すと必然的に自分が子供をどう育てるか、を考えます。うんまあ今年のクリスマスイブは家族と過ごしますけどそれが何か!?
夏が来る。さあ、夏がはじまる。
必ず1回こっきりに通りすぎて、もう2度とないシーズン。そんなことよくわかった上できっといつも通りに行ってしまうだろう時間は、いつもより少しはりつめていていて切ない。
ちなみに一番好きな章は、「夜のせい」です。勝手に時々あほなことをしながら「夜のせいね」とか言っちゃうくらい。
そしてこの最初の「夜のせい」というのの、「~つぐみもまた、海の道の境目のところで、ひとりかがんで海を見ていたのだ」っていうところまでが問題文として出されたことがあります。実に美しくない出し方だ…。。
あの夜、はだしで外に出て、歩かずにいられなかった幼いつぐみのことを思い出して、なんとなくもの哀しく、冷静になるのだった。
そういう夜ってあります。はだし…はさすがにないけど、酒に酔った夜に、旅館の外にぼんやり酒を持ちながら月を見ていたい時が。あれ昼間やったらただの変質者ですけど、まあ夜ですからね!雰囲気も出るってなもんですよ!
いつもつぐみの生き方は、そんなふうにこわかった。
感情が肉体をひっぱりまわしているようで、刹那に生命を削るようで、まぶしかった。
あるある…。そういう生き方をする人結構たくさんいる!ただ彼らはあんまり儚げには見えないし、そういう生き方もありかなって思ってしまうところが怖い。
だからつぐみが一人で穴を掘って、自分の命を投げ出して、自分の命を投げ出すことで悲しむ人がいるなんてことを考慮に入れないで、自分の感情に従って動いたというのは、わかる気がするし、でもそれを周りにいるまりあが「ひとりきりの思考で生きている」って思うのも、まあ彼女だからしょうがないかなって思うし…。
そして最後のつぐみの手紙。
私が今までこの弱い体を周囲の人々にやっとのことで支えられながらも、ヒスをまきちらして我がままに生きながらえてきた青白い小娘にすぎず、多分、これからも一生そうだということを。
最後がいままでのつぐみの死と言うなら、たぶんまりあが一番変わったんじゃないかと思わんでもない。というかまりあも一回死んだんだろう。「わたしの本当の人生はこれからはじまる」と、わけもなくそう思ったんだから。
つぐみの言葉をちゃんと理解できるまりあも、つぐみと同じような世界で生きてきた小娘で、だからまりあもつぐみ同じような時期に同じ事件を経て大人になって行くのだなあ、と。
そしてもう一度夏にペンションに会いに行っても、つぐみもまりあもいるけれど、もう本当に時期的には二度と来ない夏になるわけで、そういう時期にひと夏の思い出があったかと聞かれるとなかったから切ないけど、
まあ大学の時にそういう思い出があったから自分で自分を許そう。(何の話)
このTUGUMIという本を私はオーストラリアの本屋で旅行中に買ってもらって本屋で読んだという事件を今思い出しました。そりゃー親に連れてってもらった海外でそれはないよ。怒られた。
でも母や姉がしんどかったのです。初めての海外も。オペラよりなにより、コアラやカンガルーより、私にはつぐみの世界が魅力的でした。黙ってベールの中で生きる彼女が最後その中から出ていくように、ありたかったのです。
あと、この映画の最後をyoutubeで見たことがあって、まあ雰囲気違うんで見ようとは思いませんでした(しなぜか最後つぐみがまりあに会いに来てたのよね…なぜだ)が、そのシーンで雨が降っていたんです。
昔の映画って、雨が、自分の内部で降っているような、画面上で閉心術を使っているような、そんな情緒があります。