今あまりの衝撃に「なん…だと…」とはこのような場合に使うのか、ということを認識しました。
三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい
これ、私は今の今まで高杉さんが作った詩だと思ってたんです。
一時期気が狂ったように女遊びをしていた高杉さんだし、事あるごとに詩を詠むし(追手にかけられてる時にまで!)、何より三味線とセットな彼が、置き屋で乱れた姿でこんな詩詠むなんて…
イメージに合いすぎるやろ。
しかしあるサイトさんでたった今見かけたので本当かどうかわからなくてもうこれは史料読むしかないと思っています。
小泉八雲のGLEANINGS IN BUDDHA-FIELDSによると、長州の木戸の作として
三千世界の鴉を殺し 主と添寝がしてみたい
This my desire: To kill the crows of three thousand worlds, And then to repose in peace with the owner of my heart!
と紹介されているらしい。
木戸さん?
桂さん?
はい?
あの…幾松さんとびっくりするぐらいらぶらぶで、城崎で一人孕ませたのと松子さんの下女に手を出したかなんかでガチキレされたあの人が?
ちょっと待って、あの…人が…??
あ、でもそう言えば
酔うては枕す美人の膝 醒めては握る天下の権
とか言い出した人だったこの人は…!(しかし今ぐぐったらこれ俊輔が作ったことになっていて解せないのである)
なんでこんなことになったのかというと
和田垣謙三著「兎糞録」では「こは維新当時に於ける故木戸公の作なり云々」と原文のまま
だが、
再録した湯朝竹山人「小唄漫考」では「これは維新当時に於ける高杉晋作の作なり」「博士(和田垣氏)は高杉晋作の作といふてをられる」「これは久坂玄端の作だといふ人もあり、確認がないため作者は疑問となっている」
「この歌のなかに勤王の志がかくされている」
だそうです。
つまり竹山人さんが「これは桂じゃなくて高杉のイメージだろー」って思ったってことですか!?(違います
ま、まあ久坂なら作る。あいつもそういうタイプだ。
しかもこの話の中に勤王の志が隠されている、とか。三千世界の鴉=熊野的なアレコレを破って、神様への誓いを破ってでもあなたと添い寝したいってことですか。勤王?
孝明帝を放置してでも幾松さんといちゃいちゃしたかったんですか木戸さん(それもなんか違う
それとも禁門以後の城崎湯けむりツアーの時に勤王とか長州とか全部放置していちゃいちゃしてたことですか(松子さんに殺されます
いやーびっくりしすぎて…あまりの衝撃に…いやー言葉が出ない。
しかもこれを遊女サイドから詠んだと解釈して、それを高杉とか桂とか久坂とかが作ったなら…
またか。またちゃらかして女言葉で遊んでおったのか!(たまに桂さんが女言葉で手紙書いてて微笑ましい)
違うわかった。
そもそも都々逸なんだから著作権も何もないし、高杉が小泉八雲に会ったとも思えないし、長州は詩が得意なお土地柄だ。
だから、これは高杉さんが作って長州勢も詠ってた、もちろん桂さんも詠ってた、で明治になって「誰が作ったの?」って聞かれてもあの安政のあたりの人たち木戸さんくらいしか生き残ってないから「木戸さんは(すでに)詠ってましたよー」的なものを小泉さんがうまく誤解したとか!!そんなのないかな!!!
誰が作ったなんてどうでもいい、それこそが長州です。あの倒幕の流れを誰が作ったかなんてそんなことは関係ないじゃない。攘夷を不可能と思いながら攘夷と言わざるを得なかった時代だったように。倒幕が挙兵一つで出来るわけがないってわかっていてもそれでも。
ずっとずっとあった流れを皆でバトンをつないで維新回天したことは確かなんだから。
よし!(落ちついたらしい