さらば父上

「なんのために生きているか、夢中で生きていれば、いつかわかる」

=遊びをせむとや生まれけむ。

そういうテーマだったんだなあ、と久しぶりに思い出しました。いや、色々濃かったからさ。

舞子さんは本当にいいこと言ってるなあ…風林火山の時のかんじやさん思い出す。

 

清盛さんは相変わらずテンション高い人です…と思ったけど、そういえばここのところこのテンションの高さなかったもんね。ずっと落ち込んでて頼盛さんに「兄貴ェ…」と言われていたものね。よかったよかった。

清盛さんのテンションがあがると、兎丸が出てくる。これ理なり。

だって夜中に「久しぶりに…」とか言って剣振ってるもの…会話しながら…。

こうやって体育会系の人って筋肉と会話するよね、と思いました。

 

さて、藤原家のお家争いに使われてる源氏さん。朱器台盤の奪還とか本気でやるんだ…と思ったけれど、そういえば死に物狂いで三種の神器守ってたし、そういう象徴となるものの存在って大事だったんだなあと思います。

しかし変なこと言うようだけどあの時点で例えば為義さんが朱器台盤を持って「俺が藤原の長者だ!」ってやったらどうなんのかなーと思いました。(いやちょっと気になって…)

どうでもいいけれどあのお父さんのこと大好きだよね頼長さん。なんか愛憎でもあったの?

 

為義さんは盗賊呼ばわりされていますけど、ああ懐かしの朧月。盗賊と一緒じゃねーか!と言われてるところまで忠盛さんと為義さん一緒!!

それで二人して出会って「おまえとの約束を果たす」とかもうお父さん世代までやってること一緒!!ジャンプの王道ライバル!

次回「…忠盛」と感慨にふける為義さんを期待していいですか。

 

というか忠盛さんは家庭内の不和とかこの間の悪左府様のプレイに疲れたんじゃ

と思うくらいな、ごほごほっぷりでした。。病気の時はさすがに頭の烏帽子取って寝るのね。

 

清盛さんは安芸の国司となって贅沢三昧しておられます。なるほど、海も山も近い。いい国だ。

厳島神社は島そのものが神、か。それってそもそも日本神話そんなじゃね?なんか適当にぐるぐるしたら中ツ国が出来たとかそんなんじゃなかったっけか?

舞を踊っていたらやくざが乗り込んできたとか普通びびるだろうが、あの宋の時の子たちでした。

あれから何がどうなったのか知りませんが、こんなところで再会。それに至るまでのお話はいっさいないあたりがまじロック。

えーなんで神社で働いてるんだろうとか、おまえ記憶力よすぎだろうとか。まあいいや。

「もっとも強き者が持つ剣」。清盛ちゃんにとって、未だお父さんがとんでもない存在なんだなあと。

いや前回、キレて、対した清盛ちゃんが成長してたからすげーなと思ってたけど、そうでもないのですかね。未だにパパのままなのでしょうか。

お母さんとようやく目を合わせてわかりあえて笑いあえたっていうのは、結構よかったけど…。家盛を同じものに投影した二人というか。それが曼荼羅であって包み込まれたというか。

それでも許しあえたっていつか火が出るんだよっていう話を超期待しております。

 

それでそのあと、統子内親王が由良ちゃんとお話するシーンんがあるんですが。

由良ちゃんこんなに身分が高いのに、どうしてあんな源氏のむっさいのにつかまったし。と思いました。

いや統子さんいいんですよ。ゆったりお喋りする、まさにお嬢様。こうあるべきだ皇室。そしてその皇室の一番近くに仕えてるなら由良ちゃんももう少しゆったりお喋りすればいいのよ。

旦那と舅が争ってるならあなたが仲に入りなさい?とか、こう…世間知らずのお嬢様の理想論な感じでイイ。

そしてその世間知らずのお嬢に最後まで振り回された中流階級出身の得子様は、本当にしっぽが9つ生えておられました。逆になんもしてないように見える鳥羽様…。

 

「武を示す機会なぞ向こうからやってこぬ!」みたいなこと言う為義さんがさすがでした。

わかる就活ってそういうものだよね。そりゃあ義朝ちゃん甘いよね。

でも由良ちゃん泣くのもわかる…今になって頼朝ちゃんの「母は一途で報われぬ人」って評価が心に重くのしかかってくるぜ。。

挙句宮中(だよな?)に入り込んで雑仕女(ってこんな廊下の雑巾がけまですんの?)常磐と野獣のオーラ発動とかリア充すぎて泣けるわ。

由良ちゃんが熱田の巫女さんだった神性な時代は義朝ちゃんに出会って軽く過ぎ去って、今や旦那と息子に一喜一憂しているのに対し、

常磐ちゃんがいつ話したかもわからない「お父上の役に立ちたい」とか静かにさらっと無垢な感じで言うものだから、

私はつい女は男を知ると神性が失われるという

 

家成さんが本当にもうなんというか、この人平氏に好意的だったから別にいっかと思っていたんですけど、意外に黒かったんだな。。

平氏がその片棒を担がされそうになるわけですが、そこで清盛ちゃんが「いやそれ武士のやることじゃないよね?」と。

その発想こそが彼独特のものなんだろうな。結局今まで武士は朝廷の言うこと聞いていて飯食ってたわけで、逆らえなかったむしろ存在意義のレベルだったの。それに「いや違うんじゃね?」って言える存在って貴重。

生まれてから今まで刷り込まれてきたものというのは、それを違うと言いきるにはいつもどこかに心のしこりがある。から。

そういう意味で清盛ちゃんの存在って貴重だと思うの。。

それでその存在を近くにおくことで自分を高めて行った忠盛さんとかすげえ。

あの親子が目と目で語りあうところとか、BGMも相まってやばかった。なんかこう、男と男のやりとり、一方ともう一方がお互いを高め合う存在。

なるほど父×子だったのか。納得するわ。

その関係性からはじき出される弟君の怜悧な顔に萌えました。

 

今まで主人公が中二病に思えてきましたが、なんか最近違うなと。

例えば龍馬伝で龍馬が「世界を変える!」って言ったら、今の私たちにもすっごくわかりやすいんことをしようとしてるんだな!って伝わってきます。

何故なら龍馬が生きた世代が幕末だから。武士の世=旧世代、明治=文明開化=今の時代、だから。

そりゃあ今の時代を生きている私たちは、あんな世界駄目だ!今の世の中がいい!変えなきゃ!ってなるわ。

でも清盛が生きた時代は、王朝から武士に政治の主役が移る時代。

庶民関係ないと言えばそれまでだ!!

いや武士がもともと庶民から出てきたと考えればまだ納得はいくかもしれませんが、それでも今の時代から言ったらどっちも旧時代なわけですよ。

だから清盛が「世界を変える!」って言っても、「なんも変わってねえよお前の世界で完結すんな!」ってなる、気がする。

 

んで棟梁は清盛!って忠盛さんに言われるシーンもねー。

まず忠盛さん、「盛国!兎丸!共に新しき棟梁に最も近う仕えよ!」ですよ。

最も近いとか何事。特に兎丸とかフィクションの人物じゃないか!(私はその辺は厳しい)

そんでちらっと宗子さんを見る清盛!しっかり頷くお母さん!!

今回BGMがいい仕事してますよね。

いいなあこの世代交代。

 

「わしもすぐに追いかける」やーめーてー!フラグ着々と、やーめーてー!!!!!

追いかけてきたのが、昔の若いパパじゃないですか。もうくっそ、くっそおおおおお!!!

その頃が一番よかったのかなパパ的にはさあ!

「強うなったな」って。

私こう言いたい。これ言って人生終わりたい。

 

 

以下、どうでもよろしい日記と感想。

 

 

この時期に見てしまったのは、よいことなのか、それとも悪いことなのか、と考えることがあります。

自分の死んだあとについてよく考えるに、何も代わりやしないというのが今までの私の答えだった、はずです。

ただ些細でいいから、自分の死んだあとに自分の生きた何かが残っていればそれでいい。

だからこの道をえらんだのかと思うくらいに。少なくとも人の人生は少しは変えられるかもしれないから。役に立てると思うから。

 

最近自分の「死」について考えるのは、リアルな意味での死ではなくて、

自分が今まで生きてきた「世界」「業界」「組織」で、死んでしまうことについて。

自分の興味がなくなったりすることや、世代交代で離れてしまうことで、おこること。

自分は生きていて、たまにその世界に戻ってみると、それはもう愛した私のものではなくなっている。

ならば心血注いだものは何となっているのでしょう。

報われたかったとか自由に生きたいとか、大事にされたいとか、

自分の過去の結果を評価してほしいとか、それを望んでしまうようで。

だけど相手が一番に望んでいるのは、相手が評価されること、だと思うので、それをしていると、どんどん、…

なんだろうこの悪循環。

ならばもっと重要視されるように頑張り続ければいいと、思うけれど、

かつてのようにはもうできないし、他に時間を割きたい、割かなければならない場所がある。

だから今頑張ってる人にはもう何も、認めることしかできないけど、

そうすると自分のこの独占欲のようなものからは逃れられないのかなあと思ってしまう。

 

自分が嫌いではないけれど、それを感じることはこの先いくつもあるだろうし(永遠に一つの場所にはいられない)、

そのたびにこれでは、自分がどれほど弱い人間かということになる。

 

ってーわけで景虎様の気持ちになって考えてしまうお話。

景虎様が越後から米沢への移転をどんな気持ちでとらえていたかなんて。

そしてそのそばに直江がいつもいたから。

 

くわああああああ、直江いい仕事してんなあくそったれ!!

 

 

この気持ちを抱えて、家について、偶然NHKの尾崎特集みたいなものを見ました。

私は尾崎世代ではないから(彼が死んだあたりに生まれてると思う)、彼のファンではないけれど、

彼に影響を受けた世代が表現したものを、よく読んでいる、と思う。

テレビの中で、「卒業」を歌っていて、ライブで、彼が煽って、皆が「卒業」と叫ぶ、その時の彼の顔。

やんちゃな、無邪気な、とても少年らしい顔をした人がいた。

 

15の夜なんて今やネタだし。

むしろ彼結婚してたん?って思うし(なんだか中原中也みたいだ)。

なんだかそれでも彼の経歴に、ひどく懐かしいものを感じた。

くりかえすが私は尾崎世代じゃない。

でも彼に影響を受けた世代、に影響を受けた私の時代を、懐かしく思いだしたんだと思う。

大人への矛盾を叫んでいた彼が、20歳になってしまった時に感じた思いはなんとなく切ない。

 

彼の経歴ってロックだなあ。

 

そしてなんだかガタを思い出した。

「一人生き残る恐怖」を、「一人留年する恐怖」と同じとたとえたツイートを見て、ああなるほどと思ったように。

ガタはそういうものを抱えて生きていたらいいと思う。ひさご酒とか泣く話だ。若干きもちわるいが、それでもそれが彼の青春だったのだろう。

それが今の私の気持ちなんだろう。

 

第二世代の子たちが、影響を受けた人たちも、また誰かの影響を受けていたんだ。

それを思う時、不用意になにも否定できない自分がいる。

ひどく浮ついて生きることに対して、どうしようもない、ロクデナシなと、言いたくなる。

世の中全てに怒っていることは不可能だけれど、それでもどうしても、自分が中心に、考えてしまう。

 

いやまずこんなことしてる場合じゃない。自分のために、とりあえずストイックに勉強すべきだ。