・「教科書では最後のほうだからばたばたしてるうちに終わっちゃう」←私もそれ思う!しすごくもったいないと思う!
歴史の先生って語りストだから、今までの時代を語っているうちに、ね。
ちなみに私の友人もこの間「長州ってどのあたり?」って言ってた。もういいよ。。
・夜盲症 俗に言うとりめ。ロドプシン(ビタミンa)不足。
・実力不足のために、弟の千葉道場にまわされたような男が、斎藤んとこの練兵館塾頭に勝とうとは片腹痛いわ!!
しかし力の斎藤とか鬼の斎藤とか聞くたびに、よくもまあ木戸さんのような男がそこで上にたてたなと思います。藩の力ですかね。。あの子も若造なんだけどなー。
というか別に桂さんって家老の息子とかじゃなくてむしろ高杉とか井上んとこの方がいいおうちだったと思うのですけど、なんであんなに役職を。天才といわれていたせいじゃないよね。明倫館のおかげかしら?
20歳のころからどうしてあんなに関わってたのか、私は知りたい。桂さんのことならなんでも(信者
・「桃の日に 葵橘争ひて 紅葉を散らす 桜田の雪」
ううむ、当時大事だったと思うけど、こういう洒落乙な狂歌が流行るって素敵だよ。今時まじそんなことないもんなあ。そして思いつきもしない自分。
・武市先生は「よし藩ごと勤皇になろうぜ」とか言い出して、その伝手で龍馬さんは久坂と会って(そのチョイスってどういうこと、このときの久坂さんって本当にすごかったのかしらもしや)、「大儀のためならうちもあんたの藩もつぶれたっていい」と言われて感動して、脱藩。
いやあの、長州は脱藩したって割りとゆるい(それ高杉さんだけ?)ところだけど、土佐はさすがにだめだったんじゃ。
・脱藩したのちに千葉重太郎と麟ちゃんの弟子になるくだりは、司馬のせいか!と思ってしまった。
いやもちろん司馬さん好きだけど、司馬さんは所詮小説家であって!歴史家ではないと思うのだ!!
あとそのエピソードでわかるのは、麟ちゃんの口のうまさだよ。さすがですよ。伊達に江戸っ子じゃない(関係ない
・奈々ちゃん、たぶん新撰組が人気があるのは・・若い男が多いからだよ。。。
それから、沖田さんは単なる風邪ってか暑気あたりだと思う。結核がそこまで進行してたら、そもそも来ないだろ京都に。
それでキレた長州が禁門の変を起こしたくだり。三千対八万ってある意味元気だけど、「さすがに風雲児高杉も止めに入った」っていうかそのときはあの子脱藩の罪で野山獄だから!どっちかというと止めに入るも何も止められた方だよね!
それぶち込んだのが周布さんとかだとしたらまあわかるけど、それがもし万一、桂さんや久坂さんの共謀に入江とかが乗っかった結果だったら笑える。
・龍馬さん三条公とかに拝謁してたんだ。それすごいわ。
で、薩長同盟したら?って言ったのよね。
まあそのお膳立てが、小松さあの亀山社中だとしたら、つくづく薩摩に踊らされてる。(本当に長州ってか桂さんかわいそうだ!彼は薩摩は合わないんだよ)
この時期って本当にせごさあと小松さあが無双だよ。
あれ、人間サイレンサー大久保さんは久光さんの下でナニしてたのかな?
「長州の木戸は薩摩より龍馬を信用していたようで」そりゃあそうだよ!!むしろ龍馬が誰でも桂さんは薩摩よりは信用するだろ!
薩長同盟のときに何度も裏切られたことこちとら忘れてねーんだよ!
「憐れみを他人に乞うの類」「余、決して口を開く能わず」ってまあそりゃあ桂さんの性格から考えてもそうなるわ!
しかしここで「高杉晋作が桂に上京をすすめ」ってあたり笑えるな。「私は京都にまで行って薩人と面会したくねーんだよ、他人が行きゃあいいだろう」と言いながら結局藩命に逆らえない長州気質wwちなみにこのとき誰が藩命をくだしたんだってやっぱり高杉か聞多ですよねー(決め付け
三人党と薩摩に振り回される晩年の桂さん。デフォ。
しかし小松さあの屋敷に、割と長州の代表として敵地に乗り込む桂さんまじ男前というか押し付けられたというか、そりゃあ行きたくないわよね。そのあたりの高杉さんの「てめーが行けや!」な発想万歳。
・その後、寺田屋にて襲撃され、薩摩藩邸に逃げた挙句、せごさあがかばおうとしたって話し読んで私思いました。
これで薩摩の恨み買ったんじゃね?って(←
だってあの子たちカリスマに対するラブすごいからな!!
・んでもって第二次長州征伐。私ここで「高杉晋作率いる奇兵隊の活躍」って言われると微妙な違和感覚えるんだ。。
だってまあ小倉で高杉さんががんばったのはそりゃあ史実だと思うし、率いていたのは確かに奇兵隊なんだろうけど、ううん、まあでもあのときは確かに狂介も八十も下にいたんだっけ?それにあの鎮魂碑を見るにつけても奇兵隊って高杉さんのファンクラブ化したって噂はわからんでもないけど、それにあの葬式のときもちゃんとしてたけど、
だけどどうしてもひっかかるんだよなあ、功山寺のときの話が。
奇兵隊の開闢総督であった高杉さんと、実働部隊として維新回天に大きく貢献したころの(メインはガタとか時山とか)奇兵隊って、どんくらいらぶらぶだったのかなあって思います。
赤根の話もあるし。このあたりはまだまだ読みたいところがある。
6月17日には武器商人としてかしらね、顔を出した龍馬さんは思いっきりつかまってますけど、「薩摩の村田新八と談笑し」って本当?これ本当?教えて龍馬さん!あの他藩嫌いの高杉さんが本当に談笑とか出来たの?(ひどいいいぐさ)
あと「強敵と見るや酒樽を開いて」のあたり高杉さんほんと何を考えてるの。あなたはワクの部類の酒飲みかもしれないけど、他の人はそうじゃない人もいるのよ!たぶんガタとか下戸だよ!
最後、奇兵隊は身分を問わずって言うけど、そもそも栄太が言い出したんだよって書いてあって、いやあれ?光明寺党で久坂とか高杉とかじゃね?と思ったわけですが、まあとりあえず村塾生の合意ってことでいいですかね?よく考えたら村塾だって明倫館に通えなかった(通えても通いたくなかったも含む)身分が低い人間ばっかだもんね。
んで栄太が言い出したのは「被差別民だけで軍隊作ればよくね?」っていうことなんだよね。栄太って身分なんだったんだ?
あと招魂社ってこれまさに高杉さんじゃねーのと思ってたわけですが、それが靖国の前身だったとは。そしてそこにも被差別民が差別されてたってあったけど、ううーんあの時代におけるえたひにんの扱いがどういうものだったのか、いまいちわかりません。今でもあるのかなとか。
つうかえたとかひにんとかってどういう人たちだったんだっけ?士農工商のときは「その下にもまだいるでしょ」的な扱いだったと思うし、四民平等とか言いつつ(ryだったってのは習った気がする。
・大政奉還は龍馬さんが著しく薩摩の、というよりせごどんの意見にそぐわなかったわけで、しかしここでどうしてそんなにせごどんは戦がしたかったんかという。
でも龍馬さんの意見はどっちかというと麟ちゃんに影響されてる気がする。あ、でも麟ちゃんと慶喜さんって、いやでも、えーその辺なぞ。
・龍馬が殺害されたあと、土佐藩邸から谷と田中光顕がきてるんだけど、えっとこの谷さんって確か山川にほれ込んだ人で、田中さんって高杉信者じゃなかったっけ?土佐の人だったのか。
ていうか別に龍馬さんなんてたいしたことないよね。殺されたって別に歴史はまわったよ、と思う。
大久保さんほどの人だって殺されたって歴史は動いたわけだし、俊輔だってそうだ。だから別に誰が殺したっていいんじゃね?←
慎太郎との心中でもそれはそれでおいしいからいいけど。
あと「長州藩は無理」の理由が「木戸にはそんな大それたことをやってのけるだけの度胸はまるっきしなかった」って本当にもう沙織ちゃん失礼だな!!
たぶん木戸さんは薩長同盟で自分が頭下げなくてすんだことに対しては、龍馬さんにちゃんと恩感じてると思うよ!
でも木戸さんは結構「戊辰の戦で敵になった人には容赦いらない」みたいなこと日記に書いていたりするっぽいし、あまあまな人ではなかったと思う。人民大好きな人だけど。理解されないとすぐすねて引きこもりするけど!
木戸さんに龍馬を殺す理由があったかと考えると、そこまで戦がしたいわけじゃないから(そこが薩摩との違いだよね、薩摩は軍事で力を見せ付けたくて新政府にも見せ付けたかったけど、もう長州のそんな力・・あるわ。意外と上野の戦いとか益次郎だし北陸は奇兵隊だわ。あれ。ただ戦をしたいわけじゃないからな。たぶん。国力ぎりぎりだし。)そこまで何が何でも抗戦にもっていく必要はなかったと思うけど。
ただ彼も強硬に東幸を主張してるし、天皇中心にして、外国になめられないようにしようとか言うタイプだから(連合艦隊砲撃がな)、慶喜がトップじゃ困るんだよとかは思ってそう。
それから「容堂公が木戸さんに敷物一枚渡さないで(このあたりのお話はちょっとあっちゃんと親ちゃんに似てる)、木戸さんがてっめえいつまでも大名気分でいるんじゃねーよって言ったら、容堂公が300年の大名の癖がそう簡単に直るか」って言った話。
そもそも容堂公には幕末のころからお世話になっておりまして、周布さんは暴言を吐くは、晋作は焼き討ちしようとしてるから止めるわ、そうせい公は謝罪しっぱなしですよね。いまさら感はある。
木戸さんも結構容堂公と飲んでる気がするから(そして彼らの酒癖は相当ひどいから)、ううんこれはそこまできりきりした会話じゃないと思うんだけど。
ただ参議時代のいつの話か知らないけど、廃藩置県のあたりのくだりだったら、容堂公も一回木戸さんにはキレたかったのでしょうか。
日露のくだりで龍馬が夢枕に出てきたって、ちょっと宮内庁誰よいやたぶんガタ閥だろどうせ、ガタちゃんとしなさい!という気分になりました。
だって日露開戦を決めたとかまさにブミガタたろちゃんじゅったのあたりでしょ。あの会議のあたりのことでしょ。
ブミとガタが全面戦争にいたってちょっと落ち着いて日露でやばいやめようよなブミともうこれいくしかなくねなたろちゃんという。。くっは。
ちょくちょく長岡さんが出てきますが、どなたかが岩崎×長岡とかおっしゃってて、今度調べたいと思います。
あとね、「世界の海援隊」のあたりのくだりはもう純粋に!!おまえが言うなと!商売したかっただけと違うのか!
といろいろ突っ込みをしようと思いましたが、よく考えたらこれを証言したのは陸奥ちゃんなのであきらめました。むっちゃんだもんな。何言ってもしょうがないよ。岡崎君とか原君とかよりよっぽど健全である(ひどい)
で、そのあたりの話を、蘇峰さんが「土佐は芋とみかんのこやし」とか言っててさすがと思いました。
蘇峰さんは明治夫婦という名言に始まりなかなか素敵なたとえをされておられますよね。