観樹将軍縦横談 そのいち

ごろちゃんの談話ではあるが、そもそも大正13年に出版されていて、内容もちょっとあのごろちゃんボケてんの?っていうのもあるっぽいので、普通に講談レベルだと思って読むのがいいと思われます。

 

目次:伊藤山縣の性格

伊藤→派手で華やかで稚気がある

山縣→自称一介の武弁で詰まらん人間であるように見せかけていた

だいたいあってると思いますさすがごろちゃん。ところでごろちゃんだから当然山縣に対しては厳しいんだよね?

 

人物紹介編

伊藤→ろくに話もきかない

山縣→そりゃあ親切

ごろちゃんいわく、「(そう見えるが、)伊藤の泣く折は、本当の涙を出すが、何て目白の涙は、あてにならんぜ」だそうで、これってえーっと、目白のってあたりがよくわからんのですよね。ガタが泣いてもあてにならんのか、伊藤の涙があてにならんのか。一応オチになっているのでわかったはず。

 

高杉の紹介状

山縣が自叙伝を出して、みんなに配り歩いた(これどういう神経なんだろう。自叙伝いつ書いたか知らんけど、仲がいいころなら恥ずかしいし、仲悪かったら言い訳みたいで気持ちわるってならんのかな)とき、ごろちゃんももらったわけですが、

ガタが馬関にいたころに、俊輔が高杉の紹介状を持ってやってきた、と。「こいつは将来見込みがあるからよくひきたててね」って書いてあって、おかしいなあと思った。

ら、やっぱりそれ見た俊輔は怒って、「いや俺とお前は一緒に松陰先生の下で勉強したのに、何も高杉の紹介を持つまでもないわ」と。その後ろに「又聞きだけどね☆」って書いてあるところがさすがのごろちゃんクオリティ。

そこでごろちゃんこれどーなの伊藤キレてるけど、って言ったらガタもガタであるんだもん!とか言い出し、最終的に「わかった何も出すことなかったよね、次があったら訂正する」とか言ってたけど結局訂正しなかった。

んで、ごろちゃんは、証拠があるんだからガタは正しいこと言ってるんだろうけど、じゃあどうしてこんな手紙を高杉は書いたんだろう、と想像してみたらしい。ごろちゃんいわく、

「一方は長州ファイブとして英国かぶれになって下関連合艦隊のとき止めに入り、一方はがちがちの攘夷をしていたから、昔は仲良かったけど意見も思想も違って仲が悪いので、そこの間を高杉が融和に入ったんじゃないか

と。

たたたたたたた高杉さん!!!!!!大人になって!!!!(違う

いや、高杉さんって結構人間の周旋してるよね。桂さんにとか。きれいに忘れられてたりするけどさあ。

「高杉は山縣の機嫌が直るように書いたのだ」っていうのに禿げるかと思いました。ガタの機嫌をとる高杉さんとか貴重!

 

まあとにかくこの例を出して、なんか言ってやるやる言ってもどうせ山縣はやらねーんだよ、だからやつの涙なんて信用できない!っていう結論だったと思います。

おまえ本当に嫌いだなガタのこと。