ヴェルサイユ 2013.3

パリ市内から普通に遠いわ!!ロザリーはまじでポリニャック伯爵夫人に怒った方がいい!!
文句があるならヴェルサイユにいらっしゃいじゃねーよ、ヴェルサイユに来させるから文句があるんだ!!

RERだっけ、なんかこう結構治安よろしくない気がしていたので、国鉄でリヴ・ドロワット駅まで行き、朝市をかすめながら行きました。


結局ベルばらの知識だけで行ったけど十分楽しかった!
太陽王ルイ14世から大きくなったヴェルサイユ宮殿
入口がきらっきらなんだけれど、そこにむらがる観光客と海外によくいる手首にヒモ巻いてくる黒人。うっぜえええええ

見たことのあるような肖像画とか結構一杯ありましたが、なにせベルばらベースの知識だもの。
おかげでマリーアントワネットは認識できないくせに、その辺の騎士の銅像を見ては笑うという行為に走りました。なんかこれ、オスカルに迫ってたあのジュデなんちゃらという人に似てないか。とか。
私あのシーンのオスカルを褒めたたえる言語が面白いのと、そのショコラが熱くなかったのを幸いに思えとか言って人にチョコぶちまけといてこのセリフはないわというアンドレが面白すぎて好きです。
当て馬としてはいい人だった。

マリーは日本では…というか私の周囲ではベルばらで有名だけど、一応「フランス革命」というものが及ぼした影響の、悪い方の影響で有名、ってことでいいのかしら?
それとも支配者サイドとしての名前なのか、はたまたオーストリア女ってことでいいのか。
マリアテレジアがオーストリアの肝っ玉母さまであることは周知の事実ですが、そのオーストリア女だって結構弱小だったわけだから、フランス兄ちゃんがあまり恐れることはないような気もするんですけど。。

ルイ15世が愛人に与えたポンパドール夫人に与えたプチトリノアンは、私の中では完全にフェルゼンとの逢引き場所でした。

なんか哀しいのは漫画の知識のせいですかね。
だってこの部屋にいたマリーを私は知っているもの(漫画でな)。
あの時娘と息子に対して愛情を注いだマリーが、最終的にあれほどの女王然として生きていられたのは。
国民に対する愛情の間違え方は、あの生まれながらの女王には理解できなかったのかもしれない。
家族としていきることと、政治家としていきることと、女王としていきることが、マリーの中では混在していて、ついに確立させられなかったんじゃないかな。
テレジアの娘息子はまったくそこのところ育ってないもんね。

マリーが生きた時代が違っただけ。
英国はじゃあなぜ騎士の国でいられたのだろうか。

この森でフェルゼンと逢引きしてたらそりゃあバレるよ丸見えだぜすけすけだ!オスカルもみちゃうよフォローするよ。
まわりをぐるっと回ってみれる車の中から見たんですけど、どう見てもすけすけですね本当にありがとうございます。

あとふらふらしていたら発見した愛の神殿。
まさしくマリーがセルビア理髪師をやろうとしてオスカルがガチキレしてたあのシーンですね!


しかしプチトリノアンの方がはるかに趣味が私に似ていたというのを宮殿で知ることになるのでした。
王妃の寝室はねえ、ここでは寝れねーよってなるのもわかる。
そもそもが座って寝るとか絶対腰に悪い。
そしてこのピンクのお花の壁紙な…!誰だよこれにしたのは!悪夢だ!私みたいな性格の人間がこんなラブりぃなところに入ったら確実にうなされる自身があるぜ!

けど、ここで出産しまくったってなかなか恐ろしいわ。
そして何が恐ろしいって、寝台の真向かいに鏡がある!
ちょっと待てここでこの体勢で出産したら自分まで見たくないものが見えてしまう!
大変だったんですね、マリーさま。(まがお)

鏡の回廊。ヴェルサイユ条約の調印。あードイツ様ドイツ様…
天愛読んでるとドイツ様も必死だったんだよ・・と肩をたたきたくなってしまう。
ハプスブルグ的にはそんなこと聞いてねえよというお気持ちでしょうが。
あれは一応帝国は勝ったことになるのか?だけどそのあと崩壊があって民主化したわけで、、今子孫はどうなっているのだろうか。だいたい世界中にいたし。
うちの徳川家の方々は楽しそうですよ。

しかし遺憾せん寒かったんだよな。。
庭園みてもあー、とりあえずプチトラン乗るかーと乗ってみるも、音声ガイドなんて一瞬過ぎて詐欺のレベルだし(日本語何それ美味しいの?)挙句乗り降り自由って書いてあるから何周でも出来るのかと思いきや一周チケットだったり、いやーもうライフはゼロでした。
もっと暖かい季節に行くべき。