つれづれ

小学校受験の話を聞くと、「輝くエリート」と「セレブリティ」という言葉が同時に出てくるが、私の中でこの2語が全く重ならないところから考えるに、医者という職業は成りあがりなのだなあと感じざるを得ないというか、そういう意味で「馬の骨」なんだなとしみじみした。

私の中でエリート、それも輝くエリートというものは、どちらかと言えば学者的なところがあり、常に学び続けるもの、という意味合いが強い。だけど学者が常に自分の財産を気にしないで学び続けたらそれはただの貧乏人であって、セレブリティにはなれないのである。

エリートとなるべく、相手のことを気にする適度な人間性といううたい文句を見ると、そのあたり矛盾しないのかなあと思ってしまう。

だけどそれは食うために働く、という言わば商人的な発想(江戸時代で言えば一番身分が低かった)であって、本物のセレブリティというのはそういうものを気にしないんだろうな。

セレブリティというのは、ある程度働くエリート(働かなければそのうちどうなるかという危機感とは無縁)にあるものであり、さらに言うならそのエリートの仕事は「よきにはからうだけの価値があるように見せつけるお山の大将」と見られがちで(中世のお貴族様のパーティでは政治劇が行われていたそうだがそういう感じの)あるものだからこそ、セレブリティ感覚が必要なのだろう。

ということは我々庶民(働く者、言わば農工商)はセレブリティさをある程度持った上で、庶民なりのエリートになる方が生きやすいと思うのです。

いや文化教養が必要とは常に私も思ってるけど、だけどいずれ自分が働くことになった時にそれらがメインで語られたら経済回らんよって話し。スパイス程度で十分です。それだ。庶民の品格って言葉を誰か体現してくださいませんかww

やたらフランス様欧米様をアゲておられますが、いやあ今EUがえらいことになってるっていう。ね?お育ちのそれはそれはよくないアメリカ様や中国様の代頭たるや。

 

そういう方々がいちいち歴史をあげてくるのも面白い。そりゃあ明治政府なんて萩のクソ田舎で育った馬鹿と薩摩の鎖国中の鎖国の中で育ったゲイとその他が成し遂げたと言われたらまあそうですねとしか言いようがないし彼らもエリートじゃないけど!

別にあの人たち自分たちの権威を保持するために旧来の江戸前文化を否定したわけでないと思いますよ!そうしないと鹿鳴館しかり馬鹿にされまくったんだよ!

それにあいつら純粋に外国の文化とか工業とか好きだし。新しいものが好きなのは人間の性だってば。

なんかそのあたりを引き合いに出されて日本人本来の心がどうのと言われてにこにこしてたけどちょっと腹が立ってきたので。ううむ。

そ、そりゃあ明治帝だって人間性は素晴らしいけどあの人だって相当の苦労したと思うの。。三条さんはまだしも根性入った公家とは思えない奴とか薩摩弁と長州弁でまくしたてる周囲とかつうか孝明帝の殺され方見て「なにやっても許されると思えるような天真爛漫さがうんぬん」とか絶対無理。そんな育ち方出来てるわけない。

意外と天皇家の方々は2000年の歴史の中で笑えることもやっていると言いたくなりました。