プリトヴィッツェ国立公園へ

朝食を食べ終わったら、ちょうどホテルに案内の方がきていました。一路プリトヴィッツェへ。
veltraはロワールの古城に行ったときも利用して、割と日本語もそれなりに使える人がガイドしてくれるのと、日本語ツアーと英語ツアーの金額に差がなかったらしいので、日本語ツアーで申し込みました。割とここのツアーは正解な仕組みをとっている気がするので、よく利用します。

ツアーのガイドさん、ほぼ同年代の女性でした。ドゥニャ。
文科省奨学金で日本で勉強していて、こっち(クロアチア)でも文系の大学出て、今やガイドしているそうな。

行きの車で、色々クロアチアのことを聞きました。
ローマ以前、ローマ以後、ハプスブルク、ユーゴ、独立。この分け方でクロアチアは語れますと。
EUに入ったことは国民の間でも五分五分の意見で、やっぱり若者はどんどん都会に出てしまっているとか。。
観光産業しかなくて、若者の失業率は50%程度もあるからと。個人的にはブタペストよりもクロアチアザグレブの方がもうかっているイメージ(あくまでイメージ)があったので、そうか、ザグレブよりもブタペストの方が都会なのか、と衝撃でした。
彼女は3.11の地震の時に新宿にいてまじ死ぬかと思ったし、放射能の話を聞いて九州に逃げたとか。
クロアチアで使用する車はやっぱりトヨタが多いとか。

ルフレートが、このハプスブルクという巨大な傘の属国ではないのですかということをルドルフ様に言っていたけど、彼女の「ユーゴとEUが形態としてにている」という発言の真意のもやっぱり同じことなのかなと。
セルビアサラエボに比べると栄えてるイメージあるけど、そんなクロアチアですら抱えてるものがあるのだな。

マキシムがクロアチア出身らしくて興奮するうちらに、なんで日本人はクラシックきくの?こっちのワカモノハほぼ聞かない、というおねーさんに、なんて説明したらいいのか、と。私たちは聞くけど、確かにこっちの若者もそんなにきかない(「4月は君の嘘」を除く)よって伝えるのはなかなか。。。

クロアチアといえば、数年前までユーゴからの独立戦争をしていたところ。街中は全然そんなことないけど(そういえば数年前に夏にいくという話が出てたんだった!いけばよかった!)、道中田舎に入っていくにつれて、普通に弾丸のあとがある建物がそのままだったり、崩れた家があったり、「このあたりは以前の独立戦争の頃に戦闘があったのよ」なーんて言われたり。
私の祖母はユーゴ独立戦争をしていた頃に「青い空白い雲きれいな海ー」とか言いながらギリシャ旅行していたような変人でしたけど、いや、よくぞ行ったよ…戦争経験者は度胸が違う。

ちなみにですね、エスプラネードの方がおっしゃっていた通り、ええ、プリトヴィッツェは雪がガチ降りしてました。

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この寒い中プリトヴィッツェに来るのは、アジア人しかいないという 。。日本人の団体+中国人の親子。しかも親子は雪合戦なう。おまえらよそでも同じことするだろwww
プリトヴィッツェは普段ならこうなんだよーという映像を見せてくれますwうんw
あとカレンダーもくれたw秋に来るといいよって言ってたからそうしますw
ナイアガラのように、写真撮影に夢中になりすぎて転落して亡くなった例もあるらしいよ。気をつけようね!
あと洞穴とかもあって…これ夏なら入れるんだってさ!!!!

途中までしかいけなかったけど!まあ感覚としては十分です。
ちなみに上の方はまさしく水鏡でしたけど、滝などはきちんとあって、なぜかというと、これは水が早いから凍らぬと。

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