王朝序曲

それとも「藤原王朝」のことと割り切っているのだろうか。 

つい夜に(明日も仕事だというのに)読み始めてしまった。そして案の定眠れなくなってしまった。
永井路子氏は私を歴史の道に引きずり込んだ張本人のうちの一人であり、この王朝序曲は好きで好きでずっと持っている本である。
藤原冬嗣という、日本史を学ぶうちに通り過ぎるほどのメジャーな人が、小さい頃からCoooooolに生きているところがすごく好き。 逆に兄の真夏はHot過ぎてやけどします。怖い。
安世くらいがちょうどいい。 

冬嗣って名前だけみると緋桜白拍子を思い出す。これだからオタクは軽々しい。
(でもほんと、花とゆめなのに全然カタルシスないよねあの話の冬嗣。そりゃあ彼は殺人者だし、その報いを受けただけともいえるけど、天愛のコンラートを思い出させる。彼に敵を討たせてあげたかったけど、彼はもうそんなことではどうにもならない心を抱えていたし、仮にそうだったとしても彼はああとしてしか生きれなかったと思う。) 

でもほんとぐぐってみるとこの兄弟萌えの塊だからみんなハマるといいと思う…!
イケイケのお兄ちゃんと温和な弟とか。最終的に戦った後も橋渡しの役割するとか。かー素敵。 

最初に真夏兄ちゃんが、プライドを傷つけられて安殿様に近づいていくところとか、今の時代にもいるわこういう人って気持ちになる。
そしてそれをCoolに見つめる冬嗣さん。基本二男ってそうなるよね。さらに自由な三男坊とか。 

安殿様の、王者桓武帝との格執。
ザコンファザコンをこじらせて薬子に走るとかどっかで聞いたな、と思って気付く。ああ、処天の王子だわ。まったく高貴な人はやることが極端ですね! 

桓武帝の、王者としての孤独と、そしてそれとともに最澄との仲が深まっていく感じが、せっかく奈良から逃げ出したのに、という気持ちと重なる。
彼は仏教とのつながりを断つことが出来ると思っていただろうし、そういう強さもあっただろうに、最澄にどんどんおぼれていくような様がある意味悲しい。

そういう意味で賀美能様はいい人ですよねー。すげーてきとー。

一瞬、真空が、ふわりと舞った。 

これ絶対 ぽかーん ってことだと思う。
空海が三筆として有名なのは、ある意味「救い」を必要としない芸術家肌であったから、そこに取り入るためには、そちら方面でも売っていくしかなかったのかなと思う。いいんだけどね。 

ちらっと最初に、「天智系の復活」と書いてあるところが、永井さんの奈良時代を表している気がする。
天武系はある意味「天皇親政」国家であって、天智系は藤原一族の象徴みたいなところはあるものね。
だから元正帝までは天武系(純粋な)であって、聖武帝は天智系への奪還といった具合だと思うし、それを言うなら藤原氏の他氏排斥は長屋王の変にさかのぼる、もっというなら乙巳の変もそうなのではないでしょうか。
藤原氏の前の中臣氏は、物部と蘇我の争いでは物部氏についていたものね。蘇我vs物部の争いに近いと思う。
ただ私のイメージでは蘇我氏は渡来(百済)尊重派であり、桓武の時代、平安時代にも百済女性が人気を博したとあれば、藤原氏とは相反する存在であるとは思うのだが、、これが、「唐のなうい文化だからこのビッグウエーブにのらなきゃね(はあと)」というホモ妄想のような勢いでブームだったかどうかは謎です。 

あまり恋愛恋愛していないのだけれど、最初に三守を勘違いしたところのかわいさぷらいすれす。
冬嗣さんにもこんな時代が。基本客観視せずにはいられないエイゼンのような人ですけど焦って嫉妬して内に秘めちゃうところが素敵。
賀美能様に近づいたのは「やっぱ気楽にいきよーぜ」くらいのノリの人ですけど、それで歴史の表舞台に引きずり出されても「まーこれはこれで」のノリで走り回ってたところが素敵です。若いぜ。
「怨霊なんてなんとでもなるんだよ」と言い放つくせに、真夏の執着を怨霊かとおののくところとかね。若くて素敵。

今度は檀林皇后かなあ。

そうそう、これを読んだからこそ、私「王」「朝」という分け方に違和感を覚えないし、だから大河の清盛で「王家」と「朝廷」と分けられたときにもなーんにも違和感を覚えなかったんだけど、実際どうなんでしょうね?