函館 元町エリア

数年に一度の低気圧で猛吹雪の中どうして私は北海道にいるんでしょうかね。
八甲田山かと思ったわよ出勤した時。普通に警報出てないか寝ぼけ眼で確認したからね。警報出てたって仕事あるって。
吹雪ってさ、目の前見えないし目に入るし口に入るし何よりお顔に痛みが!たたきつけられるから!

まあそんなことはともかく。
その前日の函館なんてきれいな晴れ模様だったわよ。なんなんだこの天候の変わり方。

函館だったら朝市だろうと思ってその近くのホテルをとったんですけど、よく考えればこの私が朝に起きられるはずはなかったのよね。朝から食べると胃腸の調子崩すしな。
あっさり食べずに行動を始めました。

本日は元町散策から始めましょう。
異国情緒あふれるという触れ込み。なんか、どちらかというとノスタルジィを想起させるので、恩田陸が函館舞台に小説書いちゃったのはわかる気がする。


旧イギリス領事館

ちっちゃ!ねえここの領事さんちっちゃ!
ユースデンさんは「豆コンシロー」と呼ばれてたとかそれ愛称なん?愛されてたん?
ユースデンさんは自宅を「ホクカイドー」と名付けてたみたいだから愛は伝わってた…のか?
このころのイギリスってリアル黄昏の楽園だよねはあああ早く続きが読みたいけどアレ今どうなってるんだろう。
ユースデン夫人とか、地震学者の奥さま(日本人)とか、とっても素敵な人だろうなって書かれ方。そんな人いるはずないって思っててもやっぱりそう信じたい。

旧函館区公会堂

これなかなか美しい洋館でした。外見が非常に美しい

私以前国内の交通機関の事故を調べていたことがあるんですけど、どれもこれも痛ましいというかもうエピソードが心臓わしづかみモノなんですけど。
ここであの北海道の海に転覆した海難事故の裁判やってたらしいのです。
なんでこういう裁判が痛ましいかって、責任者は全く知らない人であるわけで、彼らも頭下げてもどうしようもないことを、本人も遺族もわかってることだと思うのですね。直接的に関わった人たちはきっと犠牲者の一員で、彼らの判断がどうであれ起こってしまったことに対しての裁判はもちろん必要で、でもそこを追及しようとすると、その時頑張って一緒に海に沈んでしまった人まで罵倒しそうで、それは遺族以外にはしていいことだとは思えないわけです。
それは医療事故も思うのだよね…誰も殺したいと思って医療しているわけではないけど結果として医療により死が訪れることがありうるわけだし、それが定めではなかったときの、やるせなさったらない。
はーつらい。
違うそんなことを考えるわけじゃないけど、私この転覆事故以外にもたとえば列車の中で火災がおこって、当時の列車は外にすぐ逃げられる構図じゃないのね。以前逃げた人が後続の列車にひかれたとかでそういう作りにしたらしく(あれ逆だったかも。この事故を経てすぐ外に出られるようにしたら後続にひかれたとかかな)、親族が見ている中でその列車に誰も近寄れなくて中で焼死したっていうのを聞いたことがあって、その一つの善意や改善策によってまた悪夢が引き起こされるのもつらいし目の前で自分の大切な人が死んでいくってもうどうしょうもないと思うんだよ。心の中でね。

大正帝がお泊りになったこともある場所でした。


そこから横の方にざくざく進むと八幡坂に。なにここにまでテンちゃんきてたの?
すごい快晴すぎて逆に切なくなってきたノスタルジィの旅。

ところでここから怒涛の教会群の観光しようと思ったら日曜日の朝とかミサミサ真っ最中だったぜ!
別に入ってもいいんだろうけどさすがに(カトリックにいたくせに)(いたからこそかなあ)入るのはためらったので外見だけ。

ハリストス正教会はイコンがたくさんあるらしいです。ていうかロシア正教かよさすが函館。あのロシアっぽさがないなあ。普通にきれいな教会。
ヨハネ教会はプロテスタントカトリックの私には敷居が高いw なぜ十字をモチーフにしたんだろう。
カトリック元町教会。なんとなく安心する。おフランスにーちゃんによってつくられた場所。