ゴッホとゴーギャン展

関さんでも思いましたが、こういう声優さんを使うイベント増えてきたの?
いやすごくない?ゴッホが小野Dでゴーギャンが杉田さんってだけでまずちょっとなんつーか笑えるのに、あえて言うならゴッホゴーギャン感が完璧すぎるし、小野Dがうまいことまたプシコ感出してくるから本当に勘弁してほしい。。。
終始ナレーターも含めゴッホゴーギャンなんですよね、でもゴッホが死んでから「ひまわりと椅子」っていうモチーフでゴーギャンゴッホを出してくるから。
ゴーギャンとしてはゴッホは年下のちょっと気違いだけど天才、ってポジションなわけでしょ…すき…。年上クールプライド高い攻めと年下気違い天才純真受け…すき…。
もう勘弁してほしかったわ。
この家具とかいそいそと買ってるゴッホに対してお金ないし同居するかってなってるゴーギャンの差!愛情の差!
ゴッホ口説き落として同居した後に「絵具をまぜるようにスープを作った」ゴッホに我慢できなくてご飯作ってあげるゴーギャンとかまじ攻め様。「計画性がない」とか「お金の管理は私が」とかゴーギャン家政婦かよ。

ゴッホが気違い起こして耳切った事件のあとのゴーギャンへの手紙やばい。
「なにはともあれ私たちはお互い好き同士なのだから」「心からの握手を あなたのフィンセント
って小野Dがあの黒執事ヴォイスで言うんだ。
いやゴーギャンにしてみればいくらなんでも自分に襲いかかってきたような男と同居出来るかよってところはあるだろうけど、そういうことも含めてゴッホは全然気付いてなさそうでな…。
でもゴーギャンも「フィンセントの病んだ心は私を求めていた」とか言い出すから、は?ってなるよね。求められたことに満足したのかな?っていうレベルのクールさだけど。

でもゴッホが死んだことをテオ(ゴッホの弟でこいつもまたいいキャラしているわけだが)から知ってゴーギャンも「私もまたこの目と心で作品の中の彼に会おう」ってあの杉田ヴォイスで。

ラストにもう完全にこれBLCDかな?って言うエピローグもってきよったから。
ゴーギャン聞こえるか 私は君にまた会いたい」「作家のジャンドランは言う、私がフィンセントと言う言葉を言うとき、その声はやさしい その想像は当たっている、その理由は、…言うまでもない
は?????公共の場で何してるの?

ゴッホは精神病はよくわかりましたが、ゴーギャンモルヒネ大量に飲んだ末に死んでるからこれも自殺じゃんね?

ええと、最初から言われてるんですよね、realityのゴッホとimaginationのゴーギャンと。
二人はどこまでもそういう感性で描いているから。
当初ゴッホは非常に暗い絵をかいていて、「宗教はすたれ、神は残る」とか言い出してたみたいですが、印象派の絵を受け明るい絵を描き始めたと。
一方ゴーギャンは「ビジネスと同じように芸術でも成功すると思っていた」とかいう天才的な文句を残しているからやはり杉田である。だってブルターニュでの言葉も「私の言葉に逆らえるものは誰もいない」だからね?
私としては野性の人を目指して単色系になって総合主義という簡略化していったゴーギャンはあまり絵としては好きじゃないし、パリで受け入れられなくなったのもわかる。

1887年モンマルトルのレストランの個展で二人は出会って。
テオの画廊で絵を売って。
ゴッホって浮世絵好きだったんだね。グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝、って題名の絵私好きだ。
ゴッホの「黄色い家」にいったときの「フィンセントは少し興奮しすぎているようだ」じゃねーよゴーギャンおまえに会えてうれしいからだよ!!
「その議論はいつも電気みたいにピリピリしていて、終わった後は放電したようにぐったりしてしまう」ように、要するに絵に関しても生活に関してもまったくあわなかったうえに、ゴーギャンはプライド高いしゴッホはプシコさんだったのでもうどうしようもなかったなあという。
ゴーギャンの罪深いところは、ここまで手を振り払っておきながらゴッホの絵を求めたりしているところですよ。くっそ、振るならもう一生手に入らないところまでいけよ!!

ゴーギャンは椅子に自分のサインを入れて自身の分身のように扱い、まるで肘掛け椅子がひまわりを抱くようなかたちで描いている」
ゴーギャンって相当な人だったけど、年下の純真な気が違ってしまうくらい自分を求めたゴッホを結局心の中でずっと見ていたんでしたらまあそれはそれで二人の形なのかもしれませんね。
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ほんとかどうかわかりませんが、タヒチにいったあとのゴーギャンゴッホに「きみもこない?」って手紙送ってるらしいんだけど、それはガチなのか、それとも「どうせこれないと思うけど、そうやって気にしているような手紙をおくれば君はいつまでも僕のもの」的思想なのかどちらなんだろうか。

ところで「さよならソルシエ」よむね
(平野とらちくんにやられた人)