スモーキーと生と死の受容

スモーキーのこと考えていくとキューブラーロスの死の受容を追っている感じ。
スモーキー担の解釈もそれぞれだなと思いながらツイッター見てる。こうやって人は死を受容していくのだ。。
正直大河から5年越しにまた窪田正孝の死にざまについて考慮する羽目になるとは思わなかった。あの人本当に我々を困らせてくる。よく試験受かったよね私。

1.否認と孤立

だいたいまずショック受けるよね。それでもってスモーキー担はまず引きこもっていく感じ。
いやわかるよ、龍也さんはここから話は始まったしもはや絶対的な死だったけど、あのころ(シリーズ1)くるくるぴょんぴょん、大勢のオタクをハイローにつれてきた窪田正孝を殺しにかかるとは思わなかったじゃんまさか。
でも私も確かに自分が窪田正孝を出演させることができる監督だったら殺しにかかるだろうな。「役者の見せ場は死に際と言われた」(マグダラ)。最高の見せ場を用意してあげたい。(その前に生かせ)

斎藤工の時はどうだったんだろうか、みんなびっくりしたのかな。工もそうだけど、あの世界喧嘩で雨宮兄弟とか琥珀さんとかがぎり大人だから、その人たちより上の人は死ぬしかないんじゃないかな。って思いつつ。

2.怒り

わりと次にみんなここにきている。悲しみとともに怒りをぶちまけているひとをみると、青柳さんのMariaをささげたい。

怒りって言ってもいろいろで、スモーキーの出番よこせ、あれだけとか許せない(わかる、でもそれは窪田正孝のスケジュールだ)とか、死ぬことないじゃん!っていうのとか。 あとラストルードがみんなドライすぎるとか。あれをドライとみるかどう見るかですけど、そもそもスモーキー担なのはスモーキーの周囲の人たちであってその彼らがどう考えるかはまたスモーキー自身とは別な気もするが

っていうか私的には、「まったく最高の人生だった」って言ってたし窪田正孝のスケジュールが1日って聞いて納得したわ。あの窪田正孝の発言で昇華されたからアフターフォロー完璧。
でも私もこれ空気読めてないと思うよ!だって人が死んで団結してってパターンそりゃありかもしれない(あれ小5の世界だから)けど、我々は!スカッとしたいのであって!!!!!推しが死んだらスカッとしないじゃん。(真顔)
私はハイロー見てスカッとしたいの!!!!!そこに窪田正孝を投入するからほんと…これ違う番組だったら思う存分酔いしれるのに。ハイローだから畜生ってなる。
(私本当にテニミュ初代のめんどくさいオタだから言うけど、あの時のTAKAHIROさんへの憎しみがせっかくハイローで昇華されたのにまた!ってなった。病気とか死が他人に与えるインパクトをもうちょっと理解してくれ)
番宣で、あの集まるところあるじゃん、真ん中にLDHの顔が4人して集合のやつ。「みんな揃っていて」とかいうたびに、スモーキーもういないからね!!!!!!ってなるの辛すぎる。みんな無名街の女は敏感になってるんだから本当に言葉に気を付けて。
わかりますか、スモーキーはもういないんだよ。みんな揃っててっていうけど、でもね、龍也さんはこの話が終わる前に死んでるしたぶん琥珀さんの中に生きてるからいいや、そして尊龍兄は「見ててくれ、俺たちは強く生きる」ってちゃんと雨宮兄弟の心の中に生きてるからいい。スモーキーは??スモーキーもみんなの心の中にしかいないの?「スモーキーはもういない」っていうのは前を向くためのタケシらしい言い方で、そうやって生きて行ってほしいけど、それでもさ!「いつまでも一緒だから」って!言ったじゃんスモーキー!
スモーキーはみんなの心の中に生きてるんだよって言われても。私の心がついていかない。亡骸はそこにあるし魂もここにあるから全員集合って言われてもな。くそう。
いやでもタケシは「スモーキー」って呼んだとき、あれはいつでもスモーキーが助けてくれたんだって思いました。でも実際にきたのはピーとユウで、その時スモーキーがいないことを受け入れたんだって思います。偶像は壊れて自分の足で現実を。
どうでもいいけどさのれおちゃんがとっても窪田教信者になってどうしたって思ったけど、映画ではさのれおちゃんの演技力まで引き上げていく窪田正孝まじ役者。
でも確かにスモーキーって他のグループ助けてるかって聞いたら助けてない。ルードは助けてるけど、スモーキー全然助けてない!気がするからコブラ>スモーキーになっちゃったストーリーもしょうがないかなとは思ってる。。
スモーキー悪いことしてないじゃんっていうけどあいつ絶対今までに普通に殺人くらいしてるからね。
これはちょっと思うところだけど、同年代の役者集めたときに演技力の差が出るのうわあって思いながら見てた。アクションでだいぶごまかされてるけど、ね。窪田正孝はあの年代の中ではやっぱり第一線を張るだけはある演技力。3.取引
なんで死んだかって理由をみんなつけようとする。何か「死」に理由が欲しいけど、まあでも斎藤工も特に理由なく死んだじゃん。(こら
私が普段から少し死に近い場所にいるから、死ぬことに対して対価を求めないけど、一般の人はそりゃあそうだよねその思考になるなって思った。
「どうせいつかは死ぬ」からこその生って発想。「好きなことをやる」っていう日向ちゃん本当に緩和ケア。
「生きることをけしてあきらめない」っていうのが口癖だったスモーキーが、それは家族に対してのもので、自分にそれを向けることができなかったのかなって思ったけど、最期までできなかったかと問われるとそれは違う気もする。
生きることをあきらめない、というのがみんなを生かす彼の最期になったからこそ「最高の人生だった」んじゃないか。つまりスモーキーにとっては家族のために生きることが「生きること」であったわけで(「この街で本当の家族に出会えた」っていうのはそういう意味だと思ってる)、死んだように病院にいくとかで生きていくっていうのはスモーキーの中では「生きること」にあてはまらなかったんじゃないだろうか。
でもそれはシオンがレッドラム事件を起こした時に深く頭を下げて、「俺のために本当にすまなかった」って言ってくれるけど、でもその金を受け取って素直に病院にいくとかはしてくれないんだねスモーキー、ってなった。だってスモーキーはそういうことを、望まれていることを、少しでも生存してほしい人たちの願いを踏みにじる(そうまさに踏みにじってる)くらいのことはできるんだ、彼はわがままなんだよ。自分の中の譲れない一線は絶対ゆずらないよねスモーキー。だいたいドラマとかただの兄貴だからな。シスコンの。
あとこの公害(話が大きくなってきていて笑った)がばれるから病院にいけなかったとか、じゃああの広斗のなじみのアル中医師にくらい頼ったってよかったじゃん!って。
でもそれ自体もスモーキーは惜しい時間だったのだろうか。今を生きるルードの子たちの中で未来を魅せることはできても自分の未来は見れなかったのだろうか。
スモーキーは大人になれない(変化を受け入れられない)という話もちらちら見ていて、ただ家族とともに歩む変化ならスモーキーは受け入れられたのだろうかとか。
彼が無名街にこだわるのは、彼の家族はもう本当はどこでだって生きていけるけど、この街で最高の家族に出会ったから無名街を離れられない、っていうことなのか?これもちょっと違う気がする。そんな思い出にこだわるような人だろうか。
リアルにスモーキーが元気だったら、みんなとともに無名街を捨てただろうか。
これさ!四国編でオレは最後までここにいる、見守ってるって言ってくれた高耶さんかよーーーーーってなって、だからあなたという人はって直江と一緒になって私とワルツを踊るしかなくなるからやめてくれないかな??
ドラマのスモーキーは門限を口うるさく言うお兄ちゃんでしたが、そんな、いわば守護者で母親(ごめんここ父親なんだろうけど)であった彼がみんなを外に出すという決断をしただけでも十分変化じゃないですか???彼の変化の結果があの囮作戦な気もしませんか?だって病状的にはもうさ、外に出て頑張って生きる未来なんてなかなか見当たらなくない?彼にとって生きるってそういうことじゃないと思う。
彼にとって変化はなされていたと思うのだけどな…。彼はちゃんと無名街を捨てられると思う。元気だったらね。でも元気じゃなかったからああいうラストになったんじゃないでしょうか。
「みんなを頼む」「任された」っていうバトンタッチ。生きるってそういうことだ。選手交代。そういう話は硝子の街にてにあって、前の母から今の母へうまく交代できればまわっていくよって。
このあたり同人の人特有かもしれないけど、生存ルートを妄想するけど、それはザムからであって、ザム3からではない。ザム3の彼にあれ以上はない。

窪田さんのスケジュールを確保してほしい、アナザールートくれとか言ってる。便利な言葉がある。スピンオフ。でもthe Movie3って久しぶりにこれLDHの話だったって思ったよね。雨宮とMUGENばっかじゃないか。SWORDですらそこまでだったわけだから多かれ少なかれみんな欲求不満はあるよね。
変化をしていこう、Change or Die。永遠じゃねえ、無限だ。
そのテーマと一緒に、Forever young at heartって曲があるの尊くてね。
若いときは心の中で永遠に輝き続ける。そして変化を恐れず。無限に。
4.5
抑うつからの受容は本当に立ち直ってくださいとしか言いようがない。私だいぶ立ち直ってるけどそれでも番宣のエンディングに注目とか言われると心折れるからな。
私はすごく雨宮兄弟にも救われた。雅貴が「ちゃんとみんなが墓参りにこれるところに」って言うのに対しての広斗の「あいつにとってはここが天国だから」的なところあったじゃないですか。(うろ覚え)
広斗イケメンすぎて…超かっこいいクッキーモンスターだけじゃない(こら)
広斗と雅貴の、二人で一つなところが如実に現れたシーンだと思います。
広斗はスモーキーに対して情がすっごくあるのがわかるし、だからこそ彼を、彼の天国で眠らせてやりたくて、それはきっと広斗も尊龍に向けた想いなんじゃないかしら。
そして雅貴は、生きている無名街の人たちへの墓だと思っていて、それは間違ってないんだけど、逆に前を向いて生きていかなきゃいけない人たちに対しては、それは弱さになると思う。だからその分雅貴は優しいけど、残酷だよね。
スモーキーにとっては無名街が天国。家族と出会った場所だから。家族と生きた場所だから。もっと生きれたらそこが彼にとっての天国だったと思うけど、残念ながら彼には時間がなかった。無名街との心中だけど、未来を託しての心中。
墓のシーン、「こいつがすきだった森に埋めてやらなきゃ」って言ってドクター抱えてったゴッドチャイルドですよ。
これ変な言い方だけど、さ、緩和の人が最期は家でっていうのと一緒じゃない?私はそれはありだと思ってるけど、そこの線引きは人それぞれで、結構同僚の中でも意見は分かれるところで、そういう意味で私も何人も生命維持以外の点で言えば殺してきたと思うし(もっと生命を維持できたかと言われれば答えはyesだろう)、かつての自分の判断との差だってあるから、ねえ、ずっと考えていきたいところではあるよね。
色部さんがいう、「チューブを抜く覚悟が私にはなかった」だ。「可能性を奪うことが救いになることもあります。」そうやって奪ってきた可能性はある。
それを本人の意思のもとに排除してはいないか?というのはいつ何時でも考えておくべき問題であり、生命というのは泳ぐことに似ていて、浮いたり沈んだりしながらいつか海の底に沈んでいくまでの、生きていることがバグ(これ真賀田女史の発言だ)だけどバグなりにあがいていくまでではあるとわかっていても、私にできることは浮き輪を投げてあげることや引っ張ってあげることで、手を払っていく人までは追っていけないし、私と一緒に沈もうとする人の手は払わなきゃいけない。
二葉が一樹さんのこと「あいつもう長生きできないんじゃないかな(する気がないんじゃないかな)」って言っていた、ナイトアウトを思い出す。二葉も忍も一樹を意思に反してまで救う気はなかった。
直江って存在くらいじゃないと死に向かってく人を呼び止められるエネルギーないよね。

スモーキーのこと考えると自分の死生観と向き合う羽目になるから疲れる。

スモーキーはシーズン1のポエムで(ポエム言うな)、「生まれてきて」「夢を見れるという」ことはみんな共通にできることだって考えていて、からのザム3「自分のために夢を見ろ」っていうのが一貫していて、彼の死生観はこれなんじゃないかな。これはMUGEN ROADの「たった一度の人生で誰かのために生きたくて」っていうのは表裏一体に見えるけど、自分の夢というもののために生きて、その夢がスモーキーにとっては誰かのために生きられるっていうことなのはとても強いエネルギーである。
でも私も確かに無名街とともにスモーキーという神は死んだっていうストーリー美しすぎて好きだからオタクの業は深い。

二階堂ことニカちゃんというキャラに対してはちょっとお前ここでそれはとなる(スピンオフあります?)ってなるけど、ニカちゃんとスモーキーの関係はさっぱりですが、シオンとスモーキーの関係を考えるとおうおうってなる。
カインについてはちょっとよくわかりません。誰か考察して。

RUN THIS TOWNとか、ピーが「この生活から抜け出せる」とかいうの、彼らはこの街からずっと出たかったと思うし、こんな状態でも生きるエネルギーをもっていけるから、ルドの子たちはいい。(無名街の大人たちは絶対死んでる気がするから心配だ)
ここから羽ばたこう、この場所で。汚れた手でつかみ取った希望を握りしめて。
無名街はGenerationsのRUN THIS TOWNがPVなんだろうけど、私はスモーキーには残酷な天使のテーゼをささげたい。少年よ神話になれ!