ほんかとうつし

今回関の蛍くんや本能寺の薬研実休をみたことで考えたのは、写しはたしかに写しであってオリジナルとは認識してなくてみてるから、やっぱり写しとして見ていないか…?ということ。これら審神者側の問題としてね。劣ったものというんじゃなくて、オリジナル本歌見たいな〜っていうようになるし、今はなき本歌を見たいな〜ってなるじゃん。比べて、意識してしまうよ。これが…これが山姥切コンプ…! 本来は本歌のレプリカほしいなくらいの(美術館に売ってるお土産くらいの)テンションなわけで、それが偉い人がその時代の新進気鋭に頼んだらさらに素敵なオマージュにしたよ!みたいなところがあるだけのはなしなのにな。比べたりここがいいとかいうから…言っちゃうから…似てる似てないとかいうから…ごめんて…

「俺は偽物なんかじゃない」からのちょぎの「偽物くん」は地雷原タップダンスというか、本科が偽物いうから写しがこじらせたのでは?というリードだと思いました最初は。(これがミスリードかは不明) 山姥切国広はアイデンティティとして本科山姥切の写しではなく、国広第一の傑作としてみてほしいと思っていて、その結果個人蔵の彼らしくおれはおれだ、今はあんたのための刀だ、となってアイデンティティを確立した存在に見える。「綺麗とか、言うな」はツンデレなのか、本科のほうがもっときれいだなのか、きれいな本科を思い出して必然的に写しコンプがくすぐられるから言うななのか、なんなんでしょうね。本科と比較されたくない、本科は興味を持たれて写しはすぐなくなる、写しと侮ったこと、というのも、確かに備州に相州をいれて十哲と言われる長義の刀と、のぞまれてつくられた国広第一の傑作であり新刀では確かな存在でありながら、一時は行方不明で個人蔵だった来歴から少し察することができます。確かに本科の来歴というか血筋がガチすぎるんだよな、名だたる名剣ではある。国広今となってはもちろんよいが昔は新刀の扱いだろうし。侮ったこと、だけみると本科が侮ったようにも見えますが一連の流れとしては人間サイドの評価ですもんね。つまるところを彼はそう言われて鑑賞されてきたのでしょう。写しと偽物は違うというのも、そういうことが何かあったのかなあ、という想像。いやだって仮にも刀に対して写しと偽物は違うって回答するか?知ってるよ、だろ。山姥切国広ホントは何がいいたかった?長義は名の売り方のはなしをしているんだが?

虎徹問題は分かるんですよ。贋作と認識させる相手は審神者なのでね。虎徹はそういう意味で2振りとも人間に誤解されてきた刀なのだから、人間たるさにわにいってるのでわかりやすいです。

それにしても極めてからの国広ほんとキャラどうしたというレベルで。自己肯定感爆上がりマックス極が爆誕するよしぶで。自分のことは傑作と呼べという強さがある。手紙が強すぎたのよ、まず「本科」だし「写しの俺が本科の存在感を食ってしまったようなもの」は解釈がすぎないか?自己肯定の塊かよ。それに対する長義の answerが山姥切と呼ばれるべきは俺だ、似ている似てない以前の問題だよ。なのではないでしょうか。これもミスリードに見える。お互いがお互いをリードしあってよくわからんことを言っている伯仲に見えてきた。それでラスト、案外どっちも切ってないのかもな。ははは…ははは???どうされました??迷いは晴れたって言っても晴れたのあんただけだよ。審神者全く晴れてませんけど?

一方本歌も本歌で本作長義です山姥切だよ山姥切と認識されるべきは俺、なのですみません国広氏も最初から山姥切ではないと訴えておられましたね、である。そして極めるとそれ以上に大事なことすなわち俺はおれあんたの刀イズアイデンティティ!の傑作様なのでこういう会話になりますわねというか会話になっていなくてよ?となるのでやはりこの伯仲、会話をしてはいけない。

本作長義の山姥切と認識されるべきは俺という言い方からは極で国広がたどり着いたように案外どっちでもいいんじゃないか?っていう境地に既に本作長義はたどり着いているのではないかと思います。認識されるべき、なので真実どっちがうったかは問題にしていない。では、どうして山姥切という名前を長義は大事にしてるのかなーと思うと、虎徹の真贋問題と同じように山姥切という認識で本作長義と国広第一の傑作がつながっているからなのかなと。本か()と写しであるという認識は山姥切という名でわかりやすく認識されるのではないでしょうか。本作ではなくあえて山姥切として名乗っている。つまりアイデンティティの確立に役立っている…?長曽祢虎徹アイデンティティ確立のためには蜂須賀の贋作呼びが必須なように…?

どちらにせよ、本作長義の極が来ないとこの辺の答えにはならないと思いますけどね。

あとほんか、表記揺れ!そもそも国広がずっと言ってる本科というのは本当にあの山姥切長義のことなんでしょうか??国広が認識してる本科と山姥切長義の特徴が本当にいまいち一致しないんですけれども??霊剣イズ何?いや、そりゃあ石切丸みたいに神社にいたから霊力あるよんならわかるんですけれども。山姥切長義にそんな伝説あったか?山姥切を切ったから霊剣っていうのが今一すっきりしません。化け物斬りの方がよっぽど分かる。 あと南泉が猫を切ったらこの口調になったように化け物を切ったら呪われて性格が化け物になったみたいなこと言ってましたけど、じゃあ昔のお知り合いの徳美時代の本作長義くんはこんな性格じゃなかったんですか?高慢で自信があり、他人に臆することはない方ではなかったということですか?今んところ国広が言ってるので心底納得してるのは本科は綺麗、名だたる名刀、以上です。(ていうかとうらぶの世界に置いて霊力って何?連結のやつでもいつもなぞ)本科であり本歌ではないという国広と本歌という回想。なんだろうねこの表記ゆれも。

だんドーン ー終わりの始まり

せごさ一旦退場。伊牟田がしれっと水の中で小松さあを支えてるのよいな、藩の重臣なんだよね小松さ・・・ あとこの与力誰だよ体つきが良すぎる。「呪いをかけあっているみたいだね」小松さあほんとなに?その通りなんだわこの大久保怖い。そのシーンで伊牟田が真っ黒なのはそういうことかな?って思うし、小松さあが半分くらいなのはそういうことかな?って思うが、川路と大久保の目だけひかったのは西南戦争はそういうことなのかな、このキャラで西郷がいくならそれは西南戦争は負けるよだって今のところのお役立ちが全員敵になるんでしょ。作者様は大久保さあになんか思うところでもありまして?奄美大島送りで泣いてるのも大久保だけで当のせごさは藩主と坊主のこと思ってるわけだし、「大久保に無理やり連れ戻されるまで」てそれはそうwなんだがww割と大久保のことやばいヤンデレと思ってますよね、西南戦争はやばいヤンデレが引き起こした・・(そうです)

斉興様の「こんよかにおいは」(よいの?)「わしのいうこつをきかん帯刀か?」のあとの小松さァのお顔みました??子犬みたいなかおしよって。天性の策略家小松にこの顔させるのほんとかわいがってもらったんだなって思うし、いうことを聞かないで西郷を生かしたことを知ってて出てきてくれたってことに感じ入るよね。だからこその島津様をなめたら殺す、につながるわけだし。

公武合体」をド下ネタという人はじめてみたw そして小松さあの「自分らの立場をもうちっとかんがえてくれんじゃろうか」の顔!ばっきばきで草!これに育てられたからこその大久保さあです。「藩がそれだけ川ちゃんに金と時間をつかって投資をした」つよい。いやしかしあの頃の薩摩って本当によくわからないんだよな、、安政の大獄では水戸とか長州のイメージが強すぎたけど薩摩も相当なんだろうけど処罰されてない、それが薩摩がいつものように政権の中にはいってた組が仕事したんだろうと思ってましたが。

さて井伊直弼の寵臣三羽烏である。時代的にあんなにいい人だった島田さんもああだし主膳もああだし、タカ様だって最終的にはああなる(史実)のですが、この多賀者との情報戦を制したことで言葉通り激ヤバな人間に育っていく川路! 井伊直弼、もともと部屋住だしそもそも井伊の男だし(?)とのことで言われるほど強硬派ではないようなという意見が最近作中では多い印象はあります。そこにタカ様とのほのかな恋愛とも言えないような、情を見せておいて、タカ様もそれを主膳にだけは悟らせておいて、これかあ。いやこれ川路がただのやばい男だよなって印象になっちまう。最初のころギャグ要因のようだった犬丸がここに行き着くとは思わなかったし、どこにいたって犬丸の名前で故郷を思い出せるという情をみせておいて(川路の犬丸ってひでえながミスリードすぎる)、やっぱり情だけでは縛られないところ、たとえば子供ですよね、文字もかけないほどに満足に育てられない、それを当たり前と思ってる多賀者から、なんとしてても子供だけでも抜け出せたらとか、そういう選択肢、道、未来を見せて、川路が勝ったんだと思いました。まさに井伊の言う「はじまり」なんでしょうしそこでだんドーンつかうのすごい。島田だって結局のところはタカ様に何も考えずについてきた点では同じですからね。せめられないよね。

井伊の言うはじまりであり(にしてもとっくに終わりははじまっていた、というのはわたしが後世の人間だからでしょう)、有村のいう終わり。あんなにかわいい顔でマツさん頼むのほんまこれだから薩摩の人間は。

春の始まりをトーハクで

本阿弥光悦の宇宙

蒔絵硯箱、思ったよりフォルムかぽっこりしてて宇宙でしたなるほど。これはかわいい。橋の下を通るいくつもの船、の上に浮かぶ文字。とうらぶ禺伝っぽいね!

御本人の坐像が福寿、結構京都でも治安の悪いところに街作っちゃうあたり最高に異風者なのにこのお顔なに?本当に怖い人の隠喩では?

これがうわさの本阿弥の折り紙!最近めっちゃみるなぜなら刀剣ばっかり見ているから。流行りものが一番博物館も出してくれるからな。もともとの家業はそちらだったのですからね。みんなで評価してる手紙とかもありました。  

やっぱり正宗おおいな、そのなかで北野江輝いてる。江好きだなとあらためて。全体がゴツくない刃文はキツくないぱきっとしてない幻想的な部分があるところがいいです。なんか優等生みたいなところありませんか。江って。

後藤君もいましたがとくびじゃなくてこっちで見るんかという感じ。吉光にしては刃文派手では?わたしあの子たちのしゅっとしてるとこ、つまり直刃がすきなんですがそのなかで後藤君って特徴的なんだなと。来派も刃文わりとストレートだよねえ。

さて光悦がお持ちだった兼氏。志津だ。福山ではじめてみたし、やっぱりもちろん正宗は偉大なんだけど、正宗を評価した光悦が更に評価をあげたところはありますよね。短刀ですが好きなタイプ。刃文のややぼんやり感とはっきりとはうねってなくて段階的なところっていうのかな(なんか名前付いてるのかなこういうの)(なかなか表現が難しいしわからない)

法華経ガチ勢の本阿弥が芸術の一家としてでてくる三英傑時代、なかなかでは?鎌倉時代には色々あっても法華経はあの時代には一定の保護がされていたのでは?と思いました。  

蜂須賀家ふくめ伝来の蒔絵はどれ見てもいい。おしゃれ。細かい。

楽と仲良いのもいいね、三英傑のあの時代には色々と考えて発展させてくのいい。黒楽すき、これもまさに宇宙、曜変天目は深海で黒楽は宇宙。大人しくした形なとはなんとなくわかる。しかも全部手で作ったとか発想が泥臭くていいな。

書物はほんまわからんのですが、三十六歌仙と見た瞬間、私の中に出てくるかせんぴ。細川ほんと雅と暴が同居してるんだわ。

日本の天才児ですよね本阿弥光悦って。ありがとうございます。ダ・ヴィンチみたい。

中尊寺展 

中尊寺東日本大震災のときに行こうとしてて行きそびれたので小学校以来行ってないのでは?最終日でもないのにめちゃくちゃ並んでた、みんな好きだな。

中尊寺、平泉、黄金の国よ。誰かがそういう表現してたよね。ヤマトタケルみたからだけと泣いちゃうね、東北の前九年後三年のときに清衡は自分たちが俘囚の頭領となるべく心を決めたんだろうなと。たとえ蝦夷と呼ばれようと。あと偽義経かなあ。くくりさん。清衡から三代目のラスト、秀衡、そこからの滅亡、金色堂の維持に尽力して。

経文も黄金、螺鈿で維持されてきて、迦陵頻伽や孔雀の細かい細工が素晴らしい。 (って思ったら新作刀剣乱舞陸奥だよ勘弁して)

お写真ゾーン中尊寺
刀剣 

童子切安綱です!天下五剣、更に酒呑童子、彼のことは映画の影響でわたしは義賊だと思っています、を切った刀。まさに朝廷サイドの刀と中尊寺展と同時に展示するのちょっと待てって感じです。エピ以外、刃文は一見シュッとしているが、その中に丁子っぽいなみなみがあっておもろでした。

則重は「松皮肌」な地鉄が派手〜!刃文よりも気持ち主張していました。

今回光忠はじまりの長船ファミリーもいましたけど、光忠やっぱり刃文が派手だし山鳥毛長船といわれてもしょうがないと思います、刃文の方向性が似ている。似すぎている。派手派手で好き。もしかしたら燭台切もこれくらい刃文派手派手組だったのでしょうか。いやでも実休光忠そこまでだもんな(あれも再現だが)

青江派も結構派手というか刃文と地鉄が一定じゃないのでなんか青江って感じです。明らかに派手派手しくないんですけどなんかよっくみたらめちゃくちゃクセあるし派手だな?

小野ハンケイ氏、もともと鉄砲鍛冶で刀も造りました、な人らしいが、刃文のところのうっすらした「浅くのたれて沸づいた」、らしいこの刃文(いい方あってるのかもわからん)、が特徴的でおもろです。

武家のところに、福岡一文字助真氏の拵ありますけど、紀州徳川にいただけあってまあ派手!吉宗や慶福さんを排出した紀州とは思えない派手さ加減(それは関係ない)(いや尾張はわかるじゃん、派手が信条できてるからさ)