正宗十哲 -名刀匠正宗とその弟子たち- ふくやま美術館

銅像のおかげで福山に小松氏というかたがいらっしゃったこと、そこに有名な企業が有ることを知りました。ちょうど瀬戸内いったとき以来ですね福山は。岡山まで出て乗り換えですが、あまりにも外国人旅行客が多くて笑ってしまった。

さて。わたし最初に出会った相州展示であまりごつくて好きではないという印象を抱いてたのですが、こうやって流れをしっかり見ると、そもそも正宗、そして正宗十哲が「その土地でしかできなかった」、というところから脱却して全国にががん広めていった、それ故にどんどんいろいろ変わっていったという流れが理解できてよかったです。新藤五とか強すぎだろ、蒲生前田綱吉と受け継がれた刀だと?

一番好きだなと思ったのが若狭正宗、なんか刃文が幻想的で輪郭がぼんやりしていて、幽玄の世界に入っていきそうな物語性を感じました。素敵。でも三の丸にいるらしいよ!皇室関係者になりてえ(そういうことではない

 

お写真だいぶとれるのですが、この長谷部好きです。刃文が二重になっていて二度焼きしたらしいけど、このシュッとした線好き。

松井江もいましたけど繊細そうな刀でいらっしゃる。江っていつみても優等生なんでするっとみてしまう。

ちょぎぴも相当おまえたちの死がきたぞなんですけど、ごっちん一族も相当だな?これだから備前は。光忠を祖とかいってる場合ではない、どんどん南北朝ヤンキーになっていく。上杉が備前刀が好きだから最近備前付いてるんですかね?「長光以降の正系にみられる孕み龍」って書いてあったのでへーー長船そんなことしてたんですか、と。

太鼓鐘貞宗、ほっそい!え?まじ?短刀といえどその横の貞宗がもう少しガッツリ系なだけにびっくりした。なにこんな細いのにあのステータス(だからそれなりに足はやいのか)うわ〜守ってあげたい。刃文も穏やかだしびっくりした、貞宗こんな感じのコも作るんや。

じゅらく、うちにはいないのでステでしかみたことないですねはじめまして。左文字の特徴はまだわからないけど、 江雪兄様、そういえば銅像お披露目のちょっと前から雪降り始めたらしいけど、まさに雪が積もってる感じの刃文にみえた。

島津正宗、きょーはくのは本阿弥の記述とも一緒じゃないしたぶんこっちだよって書いてあるけど待って いまだに全然そんなことあるんだね・・・

帰り道の京都

本能寺

復元された薬研と実休を見に行きました。平日はがらすき、一応レールとかありますが全然人こなかった。薬研は藤四郎を忠実に再現したようす。手で持ち上げて見ることができます。繊細な刀でいらっしゃる、、これで薬研通せるの?

実休は長船にしてはやや細身で刃文もおとなしめ?あくまで長船比ですが。切っ先らへんだけ焼きが多めで刃文がやや派手、あとはすっとしてる。ほか、蘭丸が背負ったらしい大太刀とかありますけどさすがにでかい。三条宗近、のさだや左文字、国俊や正恒、水心子もあるのでなんだこのオールスターズといった印象。とうらぶって信長の刀から想像してったの? 

本能寺、なんで信長がよく泊まってたかって、もともとでかくて金もあって仲介もしてるくらいの有力者でさらに防備がしっかりしてたから、、とありましたが、まあ確かに二条城にいった信忠がなくなってるレベルの攻撃されたらそれは無理だなと思いますね。いくら僧兵がいるとはいえ。明智光秀がガチなんだわ。京に入るまで気づかなかったことはないと思うのですが信長さんがどういう解釈をしたかがきになるところ。 本能寺の変の前日に茶会してるレベルだもんな、予想だにしなかったのは理解できますが。

京都国立博物館

経筒、道長が彰子と埋めたってエピも愛しいし、そんな来世を願った道長の象徴ともいえる経文が普通に博物館に引きずり出されて庶民の前にさらけだされてるの、不敬でいいな。あとの時代に生きるものの特権。

円山応挙、あまり興味なかったんだがかわいい。真正面をむく鹿さんも横を向く毛も素敵。好きになる。

ひな祭りなので全国でお雛様展示してくれる。もともとはやっぱり形代だし江戸時代から始まったわけで、完全に二次創作かもしれんけどお雛様が全国に広がることで日常に「尊王」が自然と入っていったというエピわたしは好きです。享保雛と古今雛、注訳はあるけど、だんだん移行していってるのがわかりやすいし、幕府の「派手なのは謹んで」に対応したちっちゃい雛(逆にお金かかりそうで草)も庶民の考えすぎて愛しい。日本人すぐミニマムにする。

備前刀特集あったけど、ねえきょうはくさん展示一覧も置いてくれない〜そういうところ〜

薄緑、◯忠なので薄緑も光忠のパパが作ったかなみたいなことが書いてあって驚愕。以前に北野でみた髭切こと鬼切丸、薄緑より明らかに平安刀感があった、細くて繊細そうだったので、方向性としては山城、三条五条に似てるな、と感じていました。光忠方面の備前じゃないんだよ髭切は。一方薄緑はどう見ても備前刀です本当にありがとうございました、というゴツメの刀なんですが、、兄弟刀っていってるけどあれは自認の問題とか逸話の問題で、出身じゃないんですね。なるほどステータスは確かに膝丸のほうが上なのは納得でしかないです。

ここまで備前刀をしっかり出されると感じること、一文字長船本当に区別つきにくい。わからん。刃文だけみたらおとなしい一文字もいるし、派手な長船もいるしわからないよ〜つまり山鳥毛の話をしています。でもこれだけ揃えててもやっぱり刀の最推しは山鳥毛です、顔がいい。 だいたい長光だって初期と後期で全然顔つき違うしな。

おとなしい方の二ツ則宗、まさかの高氏持ち、それはそうか、彼一応尊王でやらせていただいたんで、、って人でしたね。

一応一緒に方広寺と豊国神社いきました。骨喰もそっと概念がおいてあるのですが、藤森神社みたいに奉納されたぬい置いてあるのはいいとして、誰だ三日月やずお兄やらおいたのwあと御手杵もうぐもいてもうなんでもよさにわらうw バミ兄も刀に守護あるの、、ずお兄よ一緒ね。

噂のラーメンやさん、猪一離れにいきました(いや、、岸田奈美さんのnoteに感銘を受けてつい)個人的にはシュウマイが一番うまかったのと、店の雰囲気が良すぎる。本当にここは京都か?

note.kishidanami.com

ほんかとうつし

今回関の蛍くんや本能寺の薬研実休をみたことで考えたのは、写しはたしかに写しであってオリジナルとは認識してなくてみてるから、やっぱり写しとして見ていないか…?ということ。これら審神者側の問題としてね。劣ったものというんじゃなくて、オリジナル本歌見たいな〜っていうようになるし、今はなき本歌を見たいな〜ってなるじゃん。比べて、意識してしまうよ。これが…これが山姥切コンプ…! 本来は本歌のレプリカほしいなくらいの(美術館に売ってるお土産くらいの)テンションなわけで、それが偉い人がその時代の新進気鋭に頼んだらさらに素敵なオマージュにしたよ!みたいなところがあるだけのはなしなのにな。比べたりここがいいとかいうから…言っちゃうから…似てる似てないとかいうから…ごめんて…

「俺は偽物なんかじゃない」からのちょぎの「偽物くん」は地雷原タップダンスというか、本科が偽物いうから写しがこじらせたのでは?というリードだと思いました最初は。(これがミスリードかは不明) 山姥切国広はアイデンティティとして本科山姥切の写しではなく、国広第一の傑作としてみてほしいと思っていて、その結果個人蔵の彼らしくおれはおれだ、今はあんたのための刀だ、となってアイデンティティを確立した存在に見える。「綺麗とか、言うな」はツンデレなのか、本科のほうがもっときれいだなのか、きれいな本科を思い出して必然的に写しコンプがくすぐられるから言うななのか、なんなんでしょうね。本科と比較されたくない、本科は興味を持たれて写しはすぐなくなる、写しと侮ったこと、というのも、確かに備州に相州をいれて十哲と言われる長義の刀と、のぞまれてつくられた国広第一の傑作であり新刀では確かな存在でありながら、一時は行方不明で個人蔵だった来歴から少し察することができます。確かに本科の来歴というか血筋がガチすぎるんだよな、名だたる名剣ではある。国広今となってはもちろんよいが昔は新刀の扱いだろうし。侮ったこと、だけみると本科が侮ったようにも見えますが一連の流れとしては人間サイドの評価ですもんね。つまるところを彼はそう言われて鑑賞されてきたのでしょう。写しと偽物は違うというのも、そういうことが何かあったのかなあ、という想像。いやだって仮にも刀に対して写しと偽物は違うって回答するか?知ってるよ、だろ。山姥切国広ホントは何がいいたかった?長義は名の売り方のはなしをしているんだが?

虎徹問題は分かるんですよ。贋作と認識させる相手は審神者なのでね。虎徹はそういう意味で2振りとも人間に誤解されてきた刀なのだから、人間たるさにわにいってるのでわかりやすいです。

それにしても極めてからの国広ほんとキャラどうしたというレベルで。自己肯定感爆上がりマックス極が爆誕するよしぶで。自分のことは傑作と呼べという強さがある。手紙が強すぎたのよ、まず「本科」だし「写しの俺が本科の存在感を食ってしまったようなもの」は解釈がすぎないか?自己肯定の塊かよ。それに対する長義の answerが山姥切と呼ばれるべきは俺だ、似ている似てない以前の問題だよ。なのではないでしょうか。これもミスリードに見える。お互いがお互いをリードしあってよくわからんことを言っている伯仲に見えてきた。それでラスト、案外どっちも切ってないのかもな。ははは…ははは???どうされました??迷いは晴れたって言っても晴れたのあんただけだよ。審神者全く晴れてませんけど?

一方本歌も本歌で本作長義です山姥切だよ山姥切と認識されるべきは俺、なのですみません国広氏も最初から山姥切ではないと訴えておられましたね、である。そして極めるとそれ以上に大事なことすなわち俺はおれあんたの刀イズアイデンティティ!の傑作様なのでこういう会話になりますわねというか会話になっていなくてよ?となるのでやはりこの伯仲、会話をしてはいけない。

本作長義の山姥切と認識されるべきは俺という言い方からは極で国広がたどり着いたように案外どっちでもいいんじゃないか?っていう境地に既に本作長義はたどり着いているのではないかと思います。認識されるべき、なので真実どっちがうったかは問題にしていない。では、どうして山姥切という名前を長義は大事にしてるのかなーと思うと、虎徹の真贋問題と同じように山姥切という認識で本作長義と国広第一の傑作がつながっているからなのかなと。本か()と写しであるという認識は山姥切という名でわかりやすく認識されるのではないでしょうか。本作ではなくあえて山姥切として名乗っている。つまりアイデンティティの確立に役立っている…?長曽祢虎徹アイデンティティ確立のためには蜂須賀の贋作呼びが必須なように…?

どちらにせよ、本作長義の極が来ないとこの辺の答えにはならないと思いますけどね。

あとほんか、表記揺れ!そもそも国広がずっと言ってる本科というのは本当にあの山姥切長義のことなんでしょうか??国広が認識してる本科と山姥切長義の特徴が本当にいまいち一致しないんですけれども??霊剣イズ何?いや、そりゃあ石切丸みたいに神社にいたから霊力あるよんならわかるんですけれども。山姥切長義にそんな伝説あったか?山姥切を切ったから霊剣っていうのが今一すっきりしません。化け物斬りの方がよっぽど分かる。 あと南泉が猫を切ったらこの口調になったように化け物を切ったら呪われて性格が化け物になったみたいなこと言ってましたけど、じゃあ昔のお知り合いの徳美時代の本作長義くんはこんな性格じゃなかったんですか?高慢で自信があり、他人に臆することはない方ではなかったということですか?今んところ国広が言ってるので心底納得してるのは本科は綺麗、名だたる名刀、以上です。(ていうかとうらぶの世界に置いて霊力って何?連結のやつでもいつもなぞ)本科であり本歌ではないという国広と本歌という回想。なんだろうねこの表記ゆれも。