博士の愛した数式

今更ながらに。

本屋大賞がこれってところが、すごく、方向性的に、ああ、こういう本なのか…って思った記憶があります。

つまり、例えば中学生受験の問題文になりそうな、綺麗な文章ってことです。

 

でも、本読みのHPさんのこれを読んで、ちょっと笑った。そうか、読書感想文の題材にもなり得るのだなあ。

私は文章を書くのは好きだし(でなきゃブログなんて書いてないわ)、本を読むのも好きだし、自由題材で物事を書くのも好きで、なーんにも考えないで読書感想文を書くこともよくやった。

正直に言えば、小学生のころは親にみてもらっていた。それで賞をとったりしたものだ。こっちかちょっと書いて、親がちょっと直して、それで学校では褒められるのだから、そんなもん真面目にやっていた頃の私はなんなのだ、ということになる。(それなりに真面目に課題を提出していたのだ)

つまり大多数が言うように、読書感想文の目的は本を読まない、本がそこにあることすら知らない人に対して行う読書ノススメであるなら、私は、じゃあいつも本を読んでいる人には意味がないのだ!と主張したい。だって読書家に感想文なんぞ書かせたらえらいことになる。原稿用紙10枚くらいにわたって生い立ちから書いてもまだ足りないんだ。

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

 

で、この本を読んでなんか書けるかなあ…と思ってみたが、駄目だ書けない。

だってこの本綺麗なんだもん。

ひっかかりがあったり、ツッコミ処があったり、違和感があったり、そういう不完全さがいいわけですが、なんかなーんにもないんだもんそういうの。

イケメンは印象に残らないのと一緒ですね。

 

私は内容よりも、オイラーの定理をころっと忘れていた自分にひいた。まじでびびった。5年前には全身全力で取り組んでいた内容も、こんなにもきれいに忘れてしまうのかと思うと、博士と自分に間に大した差はないように思える(記憶の面で)。

 

で、…ぼけ老人の美徳、と見える。わけですよ。

美しく、自分の作った数字という世界と戯れる、老人。うーん、これが高耶さんだったら直江が世話するんだろうなあ、とか。あ、違う、家政婦千秋なんだ。で、離れに直江が住んでて、直江は高耶さんにはずっと昔数学の世界では勝てなかったんですよ。で、高耶さんが直江と一緒に車で事故に会ってこうなって、数学という完全な世界に安住する彼をずっと見守ってるんです。そんな綺麗な高耶さんの世界と、それから直江に、千秋、が入ってくる。

これぞオイラーの定理!(満足した)だがしかしぷらす1で0という美しい世界がとか言い出したらゆずるんとかねーさんとかこーさかとかたくさんの人が「ちょっとまて」と私の脳内で言いだしました。違う落ちつけ。

よし√はねーさんだ!これで文句ないだろう。これが私の完全世界だ(キリッ