最遊記

物語の舞台は桃源郷。かつては、人間と妖怪とが共存する平和な世界だった。しかし、500年前に闘神・哪吒太子によって、天竺国・吠登城に葬られた大妖怪「牛魔王」を、禁断とされている「化学と妖術の合成」によって復活を目論む者が現れた。その影響で、「負の波動」が桃源郷全土に広がり、妖怪達は突如として自我を失い、凶暴化して人間を襲い始めた。

混沌と化す桃源郷、この事態を重く見た観世音菩薩は三仏神を通じ、玄奘三蔵孫悟空沙悟浄猪八戒らを連れて西へ行くように命じる。こうして4人はジープに乗り、西を目指す旅が始まる。全ては「牛魔王」蘇生実験の阻止のために…。

wikiよりひっぱってきました。これ読んで初めて知った、牛魔王葬ったのって哪吒だったのか…!一番ハマっていた中学の頃でも知らんかったぞそんなこと。

RELOADが終わり、外伝が終わったと思っていたら、来年からRELOAD BLASTがはじまってそれが最終章!まじか。彩雲国ももう終るっぽい感じを出しているし、中国モノが次々と終わる年なのかもしれん。

RELOADが「弾を再び込める」という意味だと知って嬉しがっていたあの頃…。若かったなあ。

あとみさぎ聖さんの書かれる小説も大好きでした。

 

2-3巻にかけて描かれる三蔵の昔の因縁。思えばこのパーティの中心人物の過去の話から過去話は始まったんですね。久保田時任が出会うまでに1冊かかったこととは間逆の描き方。

師にかばわれたことがトラウマになっていた三蔵が思わず悟空をかばった。それによって「誰かのためになんか死んでたまるか」「残された誰かの痛みがわかるから」「俺だけのために生きて俺だけのために死ぬ それが俺のプライド」と。三蔵のぶれない生き方がまず最初にガツンとくるわけで。どこまでも自分勝手に生きることを。「強くおなりなさい」という。つよくなること。

 

その次には八戒の昔の因縁が。あ、年上組が開き直っている。そして紅孩児たちの話はガチ無視ですか自分。八戒が一番こう…自虐趣味に走りやすいので、さらりと自殺しそうですね。あ、違った、自殺しそうでしたね。いまや最強キャラにおなりあそばして。

「無一物」という言葉も実はここで初めて出てきたのか?

「仏に逢えば仏を殺せ。祖に逢えば祖を殺せ。何物にも捕らわれず 縛られず ただあるがままに己を生きる」 

たぶん確実に本来の意味とは違うと思います。光明サマ風カスタマイズですね☆…万物は空だからとらわれることはないとかそういう意味だったような…>本来無一物

「お前が死んでも何も変わらない、だがお前が生きて変わるものもある」「おれたちはこの黄金の元に集った」

 

次は…悟空暴走編(別名サソリ編)。やっぱり紅孩児は無視ですか自分。三蔵がブチキレた理由は、「三蔵」であることにとらわれているからでしょうか。

 

そしてラスト、カミサマ編。

むしろ俺が何よりも捕らわれていたのは「無一物」という言葉そのものだったんだ。

迷いはない。俺には俺の生き方が 玄奘三蔵の称える「無一物」がある。

 この言葉だけでもうね…。最遊記を何度でも読み直したくなります。今まで「生きる」ことにある意味格好よく立ち向かってきた三蔵たちが初めて味わった絶対的敗北。しかしチームワークという手段、格好悪い、弱虫、何と言われようと、地を這いずってでも勝つ。勝つことは生きること、というのが素敵です。

「生きる」ということにどこまでも身勝手に取り組んだ結果、こういう性格破綻が生まれたんだなあ。「この手がどんなに紅く染まろうと血は洗い流せる そうやって生きていくんです」

「いつか死ぬ自分のために今を後悔しないように生きる。」

 

まあ本当にどうでもいいですが、三蔵と悟空、そして悟浄と八戒ですねCPは。え?あたりまえじゃん。ただね、うーん…ギシギシは要らないやー…

悟空の、三蔵命のところとかね。「ひとりぼっちにされること」「おいていかれること」に絶対的な恐怖を覚える悟空はもうしょうがないけどね。500年前彼はそんなことを願って悟空を出したわけじゃないのに。

ただ悟空はどうしょうもなく強いし(反則キャラや)、三蔵は強いけど流血キャラだなあとか、実はなにげに一番育ちがいいよねとか(他が悪すぎるという説あり)考えるに三蔵がヒロインになるんだよな。関俊だしね!

 

…って読んだからって最遊記フェスタに行けなかった悔しさが薄まるわけじゃないんだからっ!!