期せずして新井市でスノボを初体験した話

バスで移動。
まったく深夜バスになんぞ乗るのではなかった。
眠いわ寒いわ、着いたときは無言だったが、ふと見た先に、

新井信用金庫赤倉支店」

…ここ新井じゃん!

冷静に友人、「いや赤倉支店やから」とつっこんでくれましたとさ。
無駄にテンション上がったけど。

結局スキーでなくスノボをしてみた、が。

リフト止めないでよかった;;
一度たりともまともにリフトから降りられなかった(たいてい転んだ)。

そしてわかったことは、私は常に直球だ、ということ。
最後にはちょっとは左前に出来るようになったものの、基本一直線につっこんでいった。
で、とまれなくなると転ぶ、と。
あと平面の横移動が出来ない。傾いている方に行きそうになる。
と言うわけで水泳のように全身が痛かった。

思いっきり先輩方に世話になりました。疲れたよ。たぶん疲れたのは先輩もだったし、まじリア充ぶって行くんじゃなかったと思いました。(ぶったわけではない)

わかっていたことだが2日目はチェックアウトぎりぎりまで起きられなかった。
よってスノボはやめて散策。
赤倉温泉は、岡倉天心終焉の地、らしい。岡倉天心六角堂は雪に埋もれていた。
天心の門人に大観、観山、春草がいるってすげえな。

この時期にこの雪の積もりよう。
散策しながらボーっと考えていたのは、

春日山ってさりげなくサバイバルだったんじゃないか?

と。
新井からの連想で、ここって堀江さんの支配下だったのかはわからないが、でも上杉の支配下だったのは確か。
ということは、春日山城が山城である以上、毎朝、
「御実城様、ただいま参りました」
とやるのは相当大変な雪山登山をせねばならなかったのだ。
しかもなまじ真上に別の屋敷があったら、雪下ろしの雪をモロに被ることになっている。
例えば景虎様の屋敷の真下に甘粕の屋敷があって、これは御館の時景勝方についているから、まあ人質(に近い)たる景虎様の見張りであろうが、
鬱憤晴らしに三の丸の使用人が、あえて甘粕屋敷に雪を落とす、とかあったかもしれない。

そりゃ死に物狂いで謙信公に(物理的な意味で)近づこうと思うはずだ。
越後武者の強さはこんなところにあった、のかもしれない。なるほど。(先生の旅行記より)

帰り道は怒涛のように先輩と話をして、終わった。なんかもう、1週間分くらい喋った。