まだ5歳なんですよね。この時代の5歳というのは今の時代の何歳くらいにあたるのかしら。どっちにしろ今の日本は平和ボケ。。
前回のあらすじをみていると萌えの感情が呼び起こされてきます。タイトルは皆既月食だし。これはなんでなんだろう?なにを示唆してるのかなあ。
「不安とやらを取り出してみよ」「形のないものは出せない」「不安というのはあってないようなもの」
今だったら喋るんでしょう。これこれこういうことが不安だって。でも確かに、不安というのはその本人が感じてるものだから、あってないようなものですね。後悔が前に出来ないように、不安というのも前にしか出来ないものな気がします。でも不安がないと、それはそれで無謀、と同義語ですよね…?
喜平次が完全に根暗なオタクです。主を誘わなくては…!でも誘うと面倒くさい!子供って残酷ですね。わかります。今で言ったら「なあ…この旅行、部長を誘う?」って感じでしょうか。
母も父も子供の成長が一番気になる様子。それはそうだ。「母とは、忍耐」「今時の親は、子供の成長を焦りすぎじゃ」…今時の親もそうです。でも、そうやって育てなければ勝てない、生き抜いていけないものまた然りでしょう?
樋口一家は健在のようで嬉しい。与七は次男坊気質が全開ですね。
母にはあの仙桃院の言葉が決め手だったみたいですね。
そして与六が泣いてるときに柱の影から見つめる喜平次はまるでストーカーのようですね。
「帰りたいのか?」「会わせてくれるのか?」「帰ってもよいのか?」
この二人、空回ってますね。喜平次にしてみれば初めてぶつかってきた家臣なのに、自分の性格上うまく話せない。与六にしてみれば喜平次こそが母とわかれることになった元凶。
家臣群の会話を聞いていると、御屋形様は相変わらず信仰されているようで(いつかの風林火山の電波王国)。
しかし一見ただのシスコン(姉上ラブにしか見えない)。
与六は「ひとりでできるもん」その他(主に久秀)は「意地の張り過ぎ」。この年の子って、そういえば年下の面倒見たい年頃だもんね…。この二人は世が世なら(…ある特殊社会においてなら)立派に一つのストーリーができますね。
さらに喜平次は腹をすかせた与六におにぎりをもって行こうとしますが、あえなく撃沈。もう全身全霊で落ち込んでいます。拉致ってきた懐かない受に必死で餌付けしようとするヘタレ攻かと思いましたああ可愛い。
そして夜に与六が脱走すると、なんかいじけてましたが「わしは好かれておらぬゆえ」、ちゃんと行きましたね!迎えに!えらいえらい。そう、変わらぬ愛と持久戦ですよ☆
母様はもう雪の中体を冷やして帰ってきた与六をぎゅvです。ぎゅvv手も撫で撫で。母ですね。追い返すときも、壁に編み笠が4つかかってるんですよね。
そして喜平次登場。「もう歩けん」と意地張る与六がまた可愛いです。そうやって一歩ずつ成長していってください。
見守るかぁちゃんはいいです。その母を見ている与七。
その母に一礼する喜平次もいいです。なんでだろう、このあたりから構成が神掛かっています。
そしておんぶしながらの喜平次の語り。「いつまでもわしの傍にいよ!」く…っ、おねえさんやられたぜ…!
「いつもいる」
「ではなにがあってもそなたと私は一緒だな」
よかったね!(おい)
春日山がジャングルと化しています。「あの二人が来るのが楽しみだ」っておっしゃってます。でも一瞬それは景勝と景虎様って思ってるといいなーって妄想しました。
一瞬にして兼続が大きくなっています。そしてなんだか能天気になっています。小さいころの方が思慮深かったし我慢強かったんじゃないか?「頑張るのはもういいや」の末がこれだとそれはそれでせつねーぞ。
高坂弾正が本気で姿を見せて一瞬「なんて変わり果てたお姿に…」って思っちまいました。
でもひとつ。
信長についてた小姓、ちらっとだけ顔が見えたがたぶん美形!蘭丸ってことでOKですか?