呂蒙子明

呉の3代目大都督。そもそも馬鹿にされてキレて殺してあとで自首する、という、典型的な今時の子。そんなまっとう…というか素直…な子がきっと周囲にいなかった伯符に気に入られて側近に。そしてますます体力馬鹿に。

…だったのに、仲謀に「…別に博士になれって言わないけど、せめてもうちょっと学問しようよ…」と言われて猛勉強。「っつっても阿蒙だろ?」な子敬に「へえ、おバカちゃんじゃなくなったね☆」と言われると「いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見てくださいね」と言い返した、賢しくなって、あの頃の阿蒙を返して…と私を嘆かせた。もうそんな「ふふん♪」って素直な。きっと子敬とか3秒くらい固まって爆笑したんだぜ。

興覇を連れてきた人。このあたりで思うに、こいつは完全に伯符の影響受けてるよ。だから公瑾も気に入るよきっと。興覇のピンチのときの説得の仕方は公瑾に似てるもん。

いつもたいてい伯符か公瑾の後を追いかけていた純真培養な呉の子。伯符が生きてるとき、傍仕えとなるとこいつの名が。その頃は公瑾が「~だと思います」とか言ってるのをふんふんと聞きながら、「で、おれは!おれはなにすればいいですか!!」というわんこ状態。そりゃ学問の一つもしてくれよと言いたくなる。なんでこんな名前をつけたんだ親。

あ、関羽と頑張った頃の話なんて私知らない。(爆)

 

甘寧興覇

羽飾りを背負い、鈴を鳴らして闊歩していた不良の頭領だからなんで呉にはこういうタイプが多いのだ。いつまでも少年の心を忘れない不良どもがたまる極道一家=呉ってことでいいですかね。

負けて乱暴をやめて書物を読む、ってあたりが子明とそっくり。きっかけさえあれば勉強するのだ不良というものは。黄祖軍として公績父を殺したくせに、黄祖から冷遇されたことが不満だった興覇は黄祖都督の蘇飛に助けてもらって出奔し、孫下に下る。…いやもうこの辺はツッコミ処が多いからあえて言わないけど、とりあえず蘇飛は興覇を黄祖軍から追い出したかったんじゃないだろうか…。。。

さて不良同士気があったのか子明と、確実にこういうタイプ(伯符とか子義とか)に弱い公瑾にフォローされて孫軍下でやりたい放題。そりゃ公績も泣きたくなる。たぶん上司なはずの子明もいさめきれてない。だって自分も彼の立場ならやってたから。笑

さっくり殺人もするけど、根に持たないタイプ。すべてを豪快に笑い飛ばして邪魔なものを叩き壊して生きる兄貴。

 

凌統公積

興覇のせいで15で家の跡を継がなくちゃならなくなった少年。父を馬鹿にしたやつを殺して「死んで詫びる」と突っ込んで行くあたり、やってることは子明と同じ。孫家の対応も兄弟同じ。…慣れてるなー。。

興覇に対する恨みは深くて、たいていいつも子明が割って入っていたような。剣舞でうっかり殺してやろうと思うあたりも、うっかり戟をとっちゃうあたりの興覇も、もう意外と仲いいんじゃないですか?(興覇は飛ばされたけど…)さて正史で、興覇に対する恨みを流すエピソードはあったのかな。この二人はイイ感じにギシギシしてほしいですね!!!

性格的にはこいつも結構まともで、たいてい呉にいるのはこういうタイプが多いけれど、恩義を忘れない。(だから極道なんだって…)合肥張遼の奇襲の時も死に物狂いで頑張ったりして、もう篤い熱い。