阿蘇に還る

翌朝熊本から阿蘇までJRで。熊本にちょうどSLがいた。でもすさまじいぐらいに大気汚染ではなかろうか…。

立野駅でよくわからん理由でちょっと戻るのでびびった。直江と八海が出会ったのかと思ったぜ。(←さりげなく復習。

 

阿蘇でバスで火口まで。バスはきっちり観光案内をしてくれるのでぐねぐね山道も楽しめます。余談だが前日に同級生がマイカーで登ったらしい(が火口は入れなかったとか)。

たくさんの牛と馬が暑さでだらだらしていた。登り始めはまだ暑かったんだがそのうち馬や牛がいなくなって、どんどん霧で下が見えなくなっていく。

そのうち超らぶりぃな米塚が見えてくる。確かに向きを変えてみると米っぽく一筋の線が。山に線が入ってるとそれが領土の境界線だと聞いた気がするが気のせいか?

そして草千里。広くて池?湖?もあって。のどかで雄大。…こんなところで延々押し問答してる暇があったらさっさと中岳に登れ直江。

近くに火山博物館もあります。「上に立つもの」ということについて直江がぐるぐるするところですね。なんかこう、あのときは「直江はもともと上に立つのがすきだったのに可愛そうに」と単純に思っていましたが、最近幕末編を読んで思います、400年は伊達じゃねえ。上に立ってのびのびしてるように見えた直江ですけど、この400年2番手でいたわけで、やっぱりこう…下僕体質犬体質はやめられないとまらないというものではなかったかと。いえ幕末編はですね、一番関係が安定していたようです。それから戦時中ね。回りがパニックだとご本人たちの関係は比較的落ち着いてるという。

 

山頂につく。下りた瞬間、標高のせいか結構涼しかった。そして阿蘇山西厳殿寺奥の院があることに感激。行く暇はないと思っていた矢先なだけに!!!そういえばこのあたりまで、鬼八さんすべてぶち壊したよね。駅からなにから。

ロープウェーで山頂へ。このロープウェイ、片道切符も売っていて、「これ片道の方いらっしゃるんですか?」と売り場のおねえちゃんに尋ねると、「はい、片道は自力でという方もいらっしゃいます~」と言われました。直江か。

 

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さあ火口だー!と走り出すも…風、半端ねぇ。待って高耶さん、こんなところで踏ん張れない、怨霊調伏の前に自分が転がりそう!しかも一回転がりだしたらとまれなさそうだし痛そう!(今更)

湯だまりがすごく綺麗なエメラルドだった。しかし湯だまりがないのが本来の状態なわけで、コイツ活火山なんだなーと実感させられます。あと、結構火山ガスが多かったし風も本当に強かったので、火口はしっかりとは見えなかった。

それから回れるだけそのあたりをまわってみたのですが、第七火口くらいまで、昔の火口が残ってるわけですよ。このあたりが一気に噴火したことを考えると薄ら寒いというかどこにどうやって立っていられたんだろう。それ以前に本当にここにはなにもないし、結構岩肌丸見えってことは冬は心さびしい場所だと思います。あの戦いの中でならともかく、高耶さん一人で来たら…ちょっと火口に飛び込むかもしんない。

そして直江はここまで草千里から走ってきたわけだ。うん無理だった!機会があればやろうと思ったけど無理だった!

 

中岳ではしゃいでいて全く気付かなかったんですが、ちょうど私がここで風と戯れていたときに大分で地震があって阿蘇も震度3だったらしいです。…気付きもせんかった…。

いや前日不意に、阿蘇山が噴火したときの気持ちを考えていたら思考が横道にそれて地震が来たらどうしようという心地になり、ホテルの避難経路を確認したり、できる限り荷物をまとめたりして寝たんですが、ね…。気付かないか自分。。。。そしてこの後に宮崎にいる間に静岡で地震が起こって道路が陥没したり八丈島地震が起こったりな状態です。ついにか?

私は名古屋在住なのでひとごとではないです。家屋が崩壊したり、火事が広範囲に広がったりと考えるとこの日本にもう安住の地はないんだなあと思います。はるか昔、うわさされたように3つの地震が同時に起きたときなんか、たしかゆれが半時(30分)続いたとか1時間に7回くらいの余震だったとか、地面が裂けたとか立っていられないけど地面が飛んでるのに合わせて吹っ飛ばされたとか、怖い記事が残ってますしね。静岡の原発がまあ見事に起こる位置の真上にあるしね。その原発がえらいことになれば当然東京も結構えらいことになりますけど、なにか対策あるんでしょうかね。政治家先生方だってひとごとじゃなかろうに。津波は一応大丈夫な位置に住んでいます。地図でいえば震度6くらいのところに住んでますので家は壊れないんじゃないかと楽観的希望。でも私も本屋にいることが多いので本で圧死するかもしんない。

 

ロープウェイで下りて、下の土産屋でいきなり団子を買ってバス内で食べる。私の中では色部さんが食べている(水前寺公園でね)。

ちなみに今回の旅行で、古今伝授の間がなぜか工事中という素敵な時期にぶちあたってしまったので水前寺公園江津湖はお休み。それから時間の関係で高耶さんのお顔が映ると噂の素敵な白川水郷もお休み。

 

野焼きの春で始まる阿蘇。あの阿蘇編が冬なのは、まぁ夏の阿蘇でやったら高耶さんが熱中症で倒れるっちゅーねんという心もあるが、その冬を乗り越えての春(の野焼き)で終わらせたかったからか、と思った。そういえばイメージアルバムで「再生」から始まる(これは直江だが)とかおっしゃってたし。そしてこれを乗り越えて、高耶さんの「再生」の「十字架を抱いて眠れ」と「四国編」への突入。

 

一度阿蘇駅にまで戻って、ここからは…当然の、タクシー使用、大観峰!ここから全部回ってもらって1万円。いい客だ自分。でも正直呼んだりする手間考えればね…。

さてもさても、延々のぼっての大観峰。涼しいー!すっげ、やっぱ快適だこの標高。

ここは阿蘇って街全体がカルデラってる感じだなあって印象を受けました。なんか回りが山に囲まれていて、街が下に見えるんですよ。しかし釈迦の涅槃は微妙に見えず…。ちょい霧っぽい(骸)。

ここなら吹っ飛ばされても無事でしょう、草っ原をごろごろと転がっていくだけだ。思う存分やれ。動物もいたって違和感ないぞ!来い小太郎!

あ、3つくらい大観峰って書かれた石碑?があるのですが、個人的には千秋が叩きつけられたのは展望台の真ん中にある石碑じゃないかなと。だって駐車場ではないだろうし(そのほか障害物が多すぎる)、先端のほうなら千秋落ちるから。

ただここから見える山々が釈迦の涅槃に例えられていました。その中岳からのみ煙があがっている姿が…。いやなんつーかこっちの目が腐ってるのはもうしょうがない見方というか…。よりによってそこから煙があがってるのかというか…。(わかった人は同士です)

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次は阿蘇神社と国造神社阿蘇神社と国造神社は関係社だったようで。

国造神社は黒川らへん。なんか熊本は火の国って(阿蘇の噴火のためか?)言われてるけど、すっげぇたくさんの湧き水があるので、むしろ水の国っぽい。(といいこというと自分で悦にいっていたが普通に水菜先生があとがきで言っていらした)涼しいのは阿蘇自体が標高が高いから。最近は若者が減っていて農業もたいへんらしい。

さて、男杉と女杉、そして手野の大杉がある。切り株だけど。(台風のせいらしい)中は空。屋久杉とルーツは一緒らしい。しかし大杉、なんかもはや情緒もへったくれもない。

御田祭という、白装束の女性が神々へのお供えものを持って往復し、最後に神輿に向かって苗を投げ入れる行事が有名のようです。でも7月にやったら熱中症になりそう…。

阿蘇神社はでかかった。一宮っていうだけはある。

ここの一宮は例によってタケイワタツノミコトがいるだけだが、二宮は奥方がいるらしい。そしてその後ろの杉がアマノウズメの鈴らしい。

あと高砂の松があったのでしっかり2周してきた。

阿蘇神社はもうね…。俺がいんだろが、景虎、じゃないですか。これ以上に心に説明いらないですよもう。千秋ぃ…!

 

最後に霜神社の火焚殿に行ってみた。「よく知ってるね」とタクシーの運転手さんに言われながら。

…。これ泣くよ、私が選ばれたら。火焚き神事の場所はむしろ倉庫のシャッターの中、火焚き乙女は小学生(親付きだとはいえ)。

霜が下りるまえ、8月から10月まで59日間火を焚き続ける。選ばれる乙女は少子化のためコミュニティに一人、次はまた別のコミュニティから一人、みたいな感じらしい。どこもたいへんだ。

伝説によると99本の矢を鬼八さんにタケイワタツノミコトが取らせたけど、100本目に鬼八がキレて足で投げ返したらたまたま命の太ももに当たったから殺された、らしい。タクシーの運転手さんによると「おにはっつぁん」って読まれていました。でもこれ、高千穂の鬼八伝説とはずいぶん違うよね(なにより阿佐羅関係ない)

 

タケイワタツノミコトの古墳群に来る人もいるのだとか。なんか古墳もキーワードだったよなあ…としばし考えて、朱実ちゃんが閉じ込められてた場所だっけと思い出した。

 

熊本に返って、夕飯に一気に熊本郷土料理を食べようと画策。五郎八に行きました。馬刺し、辛子蓮根、馬肉、肥後のだご汁、馬にぎり、一文字ぐるぐる…。とにかく食べました。おいしかった…。