高耶さんの死の受容的解釈

キューブラーロスが『死』を受容する心理過程としては5段階ある、というお話を今日授業でやりました。

否認→怒り→取引→抑うつ→受容

というのだそうです。

緩和ケアのお話だったのですが、自然と…というかたぶん取引のあたりから、私の脳内ではミラージュネタとしか思えなくなっていました(※まともな研究ですよ!)

 

高耶さんのパーマネントサイレンス。魂核死。

直江はまず、それを否定するところから始まっています。否定と怒りが同時にきて、あと取引もですよね。

「嘘だろう?」「あの魂がなくなってしまう」「どうして運命はこんなに彼に残酷なんだ」「世界を滅ぼしたってかまわない」

高耶さんもそうです。魂核死と言うよりはあの調伏力がなくなってしまっていることを思い知らされて。

戦いの最中に呆然として。「ナクナッテシマウ!」だからその後で来た直江に対するあの怒りはきっと、能力がなくなってしまったことでもまだ生きようとする彼のあがきだったと思うのです。高耶さんにとって直江はあのとき、本気で死神に見えていたとしても不思議はない。(まあそりゃあ直江以外の誰かからその知らせが不用意に歪んで伝えられたらそれはそれでまた修羅場ですけど…)

高耶さんの場合「終わりを見つめて生きる」というのを考え始めたと同時に、すぐに取引の段階に移っているような気がします。すなわち「やがて訪れるその瞬間を、笑って迎える」こと。自分が死ぬその瞬間に、直江の未来永劫を信じること。

四国編はなんかそんな感じ。

 

ファイナルステージに移ると、なんかもう色々ありすぎてアレなのですが。

直江は否認からは脱出していますけど、怒りや取引、抑うつの間を行ったり来たりといった感じですね。特にミラージュは何度も何度も直江に選択をさせていますからしょうがない。

高耶さんは完全に受容モードな気がする。「すべてが終わったら越後に帰ろう」だもん。「最後まであきらめるんじゃなかったんですか!?」って言いたくもなるよね。。

そして信長のところから生還した伊勢。布都御魂を使っても魂核寿命の延命がないってわかった時の彼らは、抑うつだなって思います。もう何も生まれなかった彼らから。

 

受容…はそう考えるとあれかなあ。最後の最後に、謙信公と仲直り?して、どうすればいいかわかって、もう全部終わった時のあれ。。だよね。。。

 

まあ何が言いたかったというわけではないですが。こういう話題になると泣きそうになるから私には緩和ケアは向いていないってやつですよ。