赤の神紋 完結前

神紋は最初、

榛原→景虎様(というか信長でも可)、連城→直江、ケイ→高耶さん、奥田さん→千秋

のポジションだと思っていたのですが、(そして連ケイと信じて疑ってなかったのですが)最近榛原×連城に目が向いてしまっているのはなんででしょう。

最近本当に連城がおとなしくて、というか思慮深くなられて、ラチカンの挙句ナイフ振り回してた男と同一人物とは思えません。

というかですね。連ケイはもうなんかいい気がするんです。あ、飽きたっていうほうじゃなくて、もう大丈夫な気がするんです。うん。藤崎師匠にあそこまで言わせたんだからもう大丈夫でしょう。あとは受けの師匠高耶さんに色々学べばいいさ!ww

 

でも榛原が本格的にダメな気がする。

いやだって、なんかそっちを考え出すと榛原死亡フラグがリアルになったり、はたまた榛×連にまで考えが及んだり、いっそ榛原受けでもいいんじゃね?とか、結局神紋ってぇのは連城と榛原の物語だったのか、とか。

 

今書いてるうちになんかどきどきしてきました。うあ。やべえ待ちきれねえ。

ミラージュは完結後に知ったから、こう…新刊を待つ気持ちって全然味わったことなくて、なんか変な人と化してます。

 

神紋のなかで、一番実用的(ぁ)に考えるのは、里佳さんの、

「あなたが私の歌で微笑んでくれるなら、私にはそれ以上の喝采はないの」

っていう台詞です。

合唱やってるうちに、つい忘れそうになることなんですが。やっぱり誰かに聴いてもらおう、っていう気持ちは普段の技術の追求の中に忘れてしまうんです、ね。

ライブっていうのは、だから好きです。

 

そういえば、CD技術がどれだけ今進歩していたとしても、やっぱりライブには敵わないと思うんです。(個人的な意見ですが;)

だから、ミラージュライブのたとえばDVDが発売されたとして、もちろん買うでしょうけど、行った方がライブで得たものとはきっと違うものを得る…ような気がするんです。

本というのは、それを読む人は完全に作者の文字のみを相手にしているわけですけれど、ライブというのは、限られた時間空間で効力を発揮する面もたしかにある気がするんです。

見たいけど、見たくないけど、うーーーーん。

 

すっごい勢いで話が飛びました。

女性は脳梁(大脳半球の左右をつなぐ交連繊維の束です;)が男性に比べて大きいので、視覚、聴覚、言語の情報を交換しやすいんですね。

しゃべってるときに男性はほぼ左の言語中枢しか使ってないんですが、女性はそうとう右側も使ってるんです。

特に物語を読み聞かせるときはほぼ半々で使っているそうです。

つまり萌話をしているときは脳がフル回転してるんだ!と思いました(ぇ?)

ちなみに人間の脳が16週目くらいまでにアンドロジェンちゃんに会うかどうかで男になるか女になるか決まるらしく、(もともと脳は全部女性で、このホルモンが「男になれー!」ってがんばらないと男になんないらしい)

なんか人は生まれる前から生存競争してんだなあ…と思いました。(高耶さんの言ってる意味とはだいぶ違うけど。)