慎太郎さん

 

 

京都編読み返しを見ていて、慎太郎さんってしみじみすげぇひとだなあと思いました。

ねーさんとの話って、たとえばねーさんが夜叉衆じゃなかったら、理想的御伽噺なわけですよね。

倒れていたところを拾ってもらって、いつのまにか愛が生まれて、右腕の代わりになって、「ぜったい生まれ変わるから待ってて」と言って亡くなって、残された方は来世にぜったい会えると信じて生きる。みたいな。

慎太郎さんはきっと夜叉衆のことを知らなかったわけで、だから自分が死ぬ時点ではねーさんを思って最良の言葉を掛けたいと思ったんじゃないかなと。

 

慎太郎さんは完全に性善説な人。

そしてねーさんのいう疑心暗鬼もわかる気がします。それを乗り越えたところに想いはあるように思います。

あの鴨川ではそのねーさんを慰めた高耶さんすげーと思いましたが。

1巻であの直江の台詞を聞いたときは「川が血を流している!」というのと相まって、歴史というものをシリアスに思ったもんですが、9巻では人の想いの永続性?みたいなものを感じてなんか嬉しかったです。

…うん、1巻での直江の台詞もそういうこと言いたかったんじゃないのかなと思い始めたのはもっとずっと後でした。てへ。読みが足りん。

 

というか別の意味ですごいと思ったけどね!とりあえずつい先日肋骨が肺を突き破ってた男が元気だな!高耶さん!

これってミラージュ中阿蘇に次ぐヒドイ怪我だと思います。なんだろうこの丈夫さ。

 

慎太郎さんは医者で、そういう意味では対外的に正しいのかはよくわかりません。

医者としては一人でも多くの人を治すのが仕事で、だからまず第一に誰よりも健康的でいないといけないんじゃないかしらと思うんです。

でも目の前で戦ってる女性を見たら、とか流行り病に町中が罹患したら、つい自然に自分の最大限の力をもってして助けるもので、そういう心を失ってはいけないとも思うわけでして。冷静と情熱のあいだってやつでしょうか。