飛鳥の光臨

 

カンナ 飛鳥の光臨 (講談社文庫)

カンナ 飛鳥の光臨 (講談社文庫)

 

 

聖徳太子傳暦」(917年)藤原兼輔:今ある太子伝説のほとんどがこれから作られたという。じゃあなんでこの人はこの時代にこれを書いたのか。暇だったのかよっぽど!(いやいや)…あ、堤中納言か!で、娘が醍醐帝の更衣になって、生まれたのが章明親王蜻蛉日記に書かれた人。ひ孫が紫さん。三十六歌仙。歌好き一家なわけね。

聖徳太子蘇我3人で、蘇我は藤原に殺された存在であるとしたら、藤原一族である兼輔がこういう風にまとめるのもわかる、と。

 

ただひっかかるのが、たとえ大化の改新藤原氏が力を持ったとしても、鎌足から不比等に至るまでの、大海人や讃良のあたりの、絶対君主制を敷いた人たちにしてみれば、特に母方を考えれば、蘇我は身内ではないのかということ。

日本書紀は720年に作られたわけで、讃良が亡くなったのはそのちょっと前、元明帝も元正帝の御代もあって、書きかえることは困難じゃない。ただすでに藤原氏が力を持っていたと考えるとできなかったのか。それとも暗黙の了解、というか両者の意見の一致なのか。わからん…。

 

大国主と同じ数だけ異名があるんだね、へえ。でも知らないだけで他にもあるかもしれん。

 

太子が10人の言葉を聞けた=10カ国語くらいは話せた。へえ。…いかんいかん。日出処の厩戸皇子が自然体になりすぎている。エスパーかつ襲い受け。(え

 

中大兄って不人気だったんか…いや、勝手にこっちが大海人サイドで見てしまうもんだからつい。まず宮が焼けて民が怪しんだ。=宮を焼かれる心当たりは民にまで広がっていた。そして石垣が作ったそばから壊れるだろう=壊してやる、もしくは壊れるくらい簡単に作ってやる?あと白村江も負けることがわかっていた=…??これはなんでだろう。

 

そしてその理由が、蘇我=大王だった、と。やばいマジこの考えって面白い。いつから大王になったんでしょうとか。大王が二人いた意味はなんだとか。毛人的にはともかくそこで入鹿を殺されたけどあっさり毛人が自害したのはなんでだとか。入鹿が大王でたとえ殺されたとしても戦う力はあったんじゃないか。

朝鮮半島との距離を考えてどちらかといえば融和型だった(ように思う)蘇我氏と、のちに白村江をする中大兄は根本的には大陸との考えが違っていたような気はする。じゃあ今は争ってる場合じゃないって死んでたら超毛人格好いいね!

蝦夷が入鹿のこの(山背を殺した)行為を怒り嘆いたってちょっと萌えますね!(また日出処から頭が抜け出てない)

 

じゃあ藤原氏ってのはなにか。もともと中臣だったわけで。つまり物部サイドだったわけか!うわ!

 

そして蘇我聖徳太子。それは釈迦三尊像から出てきた考えだけど。やーん面白い!★

…なんで上宮王子にその役がふり当てられたんだろう。あーでも面白い。ちょっと読んでみたい。

 

そして意外にも続編!まじか。珍しいな。翔一さんが出てくるか、タタルが出てくるか。この人のこういう書き方は本当に私は好きなので新シリーズになっていても期待してます。これが触媒となって再び歴史に私の興味が向くことが目的といえばそうなので。私は天皇の名前も全部言えない女子大生ですから。

QEDがあと3冊だとか。え、あれ終わらせることに意味あるの?

 

梅原猛「隠された十字架」「飛鳥とはなにか」

大山誠一「聖徳太子の真実」

谷沢永一聖徳太子はいなかった」

関裕二「聖徳太子の秘密」「古代史の闇と聖徳太子信仰の謎」「「出雲抹殺」の謎」