宮殿

朝、5:50に到着ということで、5:30くらいに車掌さんが扉をガンガン叩いて起こしに来ました。(鍵が開くまで叩いてくれるので、さすがに起きられると思います。)
車掌さんからオレンジジュースとパンを朝食としてもらって、もうすぐ到着するよ、と教えてもらいます。
ヨーロッパ慣れしていた知人は「夜行が時間通りに到着するなんて」とびっくりしていましたが、いやいやさすがドイツというか、単に距離が短かったからか、ちゃんと着きました。

ウィーンに近づくにつれて夜が明けてくるので、電車から見た日の出が綺麗でした。
私はこういう瞬間が好き。
もうすぐ到着するという独特の期待感や、夜明けの空が刻一刻と変わっていくとことか。
そういえばヨーロッパの空は日本に比べて青が薄いな、と感じましたが、地軸の関係で違った風に見えるかと期待した夜明けとか全く変化を感じませんでしたアッハー。

ウィーン西駅(Wien Westbahnhof)に眠いのに妙に目が冴えてる微妙なテンションで降り立ちます。
いつも夜行が到着する、中心地まで地下鉄1本で行ける南駅はただ今改装中。
でも南駅は地下鉄と繋がっていなかったので、早朝に到着するにはこっちの西駅の方がいいかも。(改装したら変わるんかなぁ)

地下鉄(Metro)の1回券を買って、カプツィーナー教会の斜め前あたりにあるホテル、Pension Aviano(ツイン€52/人)にたどり着きます。寝ぼけてて微妙に迷ったけど。
ここのホテルは、1日しか宿泊しないからどこでもいいよねとなった揚句が場所的な意味で私の趣味でした。ルドルフ様の心臓の近くで眠りたいという…

荷物を置かせてもらって、近くにあるシュテファン大聖堂に向かいます。
中に入ろうとしたらちょうどミサの最中だったので遠慮。それにしてもいい声です。
近くのAidaで朝食…といってもケーキなんですがw食べた時、片言の日本語でサーブしてもらって、改めてここはウィーンなんだと思いました。

さて地下鉄24hrチケットを購入し(€5.7)、シェーンブルン宮殿に向かいます。
おもちゃみたいな色合いです。でもこの両側の柱の上には金に輝く鷲がいます。迫力。
少し列に並んでシシィチケット(€20)を購入。見て回った後には凄まじい列ができていたので、やはりここには朝イチに行くのがいいと思います。
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中を見るより先に庭園を歩きます。今日もいい天気で、お昼に近くなればなるほど日焼けしそうだったから。
ランニングに励む地元の人が結構いました。ってどうやって入るんだ?チケットレスでもここまでは入れるのかしら?
プロイセン戦慰霊のためというグロリエッテの上まで上って、ウィーンを見下ろします。

ルドルフ様が「何を守ってきたんだろうね」という気持ちが、少しわかるような。 街と自分との間には宮殿があって、それをまるで城壁のように感じる。
壁の向こうのどんな嘆きも、こちらには届かないように思う。
越後の春日山から見た街は守るべきところだったし、熊本もそうだった。でもここは、違う。

迷路もありまして、一種の公園のような。自由だなあ。

中は音声ガイド付きでインペリアルツアーでまわることができます。ちなみに写真撮影禁止です。
簡単に言うと、またレジデンツか、という(こら!)。しかし一応私の好きな時代が揃ってるわけで、根性で聞きました。

オーストリアにとって、いかにマリア・テレジアが神だったか、ということ、
しかして縁組みによって勢力を維持しようとする試みは(お気に入りで自由意志で結婚出来た一人の女性を除いて)娘を不幸にしたこと、
夫は軽くヒモっつか妊娠中の女性を働かせるなっていう気がしないでもないが、逆にそれがいい(政治的政略において)とも思うこと。
マリア・テレジアカウニッツが秘密の会議に使われた部屋。さぞかしアレなことを相談していたと思われますが、思い浮かんだのはベルばら1巻のギャグシーンでした。しかもその部屋がまさかの東洋趣味。

モーツァルトが御前演奏した部屋も。ってこれ、史実だったのね。
オペラの絵の中に幼いモーツァルトも描いてあったけれど、それはモーツァルトが有名になったので後からつけ足したんだそうな。

マリア・テレジアと同じくらい語られていたのはフランツ・ヨーゼフ。実質の“最後の皇帝”だからかな。
軍隊的生活を自分に課した、実に勤勉かつスパルタな生活。朝の4時に起床、5時にはもう政務。簡素な執務室で執務に励み、食事も執務室で行い、安らぎである妻シシィや子供の写真を飾り華美なものを慎む。
午前中だけで100人の人々に謁見し、しかも一度会った人の名前と顔は決して忘れなかった。
自らを「国家の筆頭官吏」と呼んだ皇帝。
…超人ですか?

それにしても彼の人生(というか周囲の人たち)は悲惨という話をさらっとされました。いや第一次大戦の中亡くなったとか、シシィ、ルドルフ様あたりまでは知っていたが、メキシコ皇帝となった弟のマクシミリアンが革命軍によって処刑されたとは知らんかった。
その人生を生き抜いた皇帝に心からの敬意を。マジに。
だから彼を育てたゾフィー大公妃も、宮廷にとってはよほどシシィより重要人物だったのでしょう。彼女のことも、いっそう好きになりました。