無鄰菴

両親と夏に京都と滋賀に行ってきました。

とりあえず名古屋から京都を新幹線使うとこんなに早いということを、恐れを持って体験しました(いやだって…いつも鈍行だから…お金って大事ですね)

さっそく南禅寺の方面に向かいます。

無鄰菴(むりんあん)
京都在住経験のある母にすら「何それ?」と言わしめた、無鄰菴に直行しました。朝っぱらから。
しょうがないよね…普通知らないよね…。だいたい京都市美術館の目の前だったと思います。あと南禅寺に近い。

山縣有朋が京都に作った別荘で、名前の由来は長州に作った自分の別荘の周りがなんもなくて静かな場所にあったこと、だそうな。
ぼっちか!!そんな場所がいいなんておまえぼっちか!!(私の中のガタのイメージ=ぼっちが定着しました)
ていうかここは確かに市街地の中心からは離れているが、南禅寺門前町とかあったんじゃないかな?煩いと思うよ!!(当時はどうだったんでしょうね)
庭園はガタ自らが設計監督したもので、作ったのは平安神宮の庭を手掛けたことでも有名な小川治兵衛によるもの。
本当に庭とかそういう趣味があったんだね…女遊び大好きだったり金と悪食で有名な三尊の他2名よりはしっかりしてる気がする。
一番もともとの身分は低い気がするけど、氏より育ちとはまさにこのこと。
そしてここの洋館は、無鄰菴会議(日露戦争開始時期の外交会議を、ガタ、ブミ、たろちゃん、じゅったでおこなった会議)がおこなわれた場所としても知られている。
これさ、私あんまり詳しく知らないけど、坂の上の雲のドラマによると、ブミがわざわざロシアまで行って、「もうやめません?戦争やめよーよー」とか言ったり、かねけんとかがルーズベルトに「ねえねえ俺ハーバードの先輩だよね?ちょっとロシアからの手紙見せてくんない?」とか言ったりして、なんとか開戦を避けようとしたけど結局避けられなくて、んでたぶんだけどその頃きっとブミとガタなんて政友会とガタ閥として対立?してたようなもんだし、たろちゃんは立派なガタ閥なんだから、外相じゅったって(ブミが停戦会議の時に「どれだけ君が罵倒されても俺だけは君をたたえようとか言ってた気がするし)ブミ派ってことでいいのかしら??(まあこれでじゅったが政友会だったら馬鹿すぎて私死ねって感じだけど)
だけど確か日英同盟推進派はガタ派で日露協商がお神酒だったと思うんだけど、じゅった一応日英同盟締結した時の外相でもあるよね…わかりにくい…。
伊藤は希望と混沌を、山縣は追憶と秩序を、体現し象徴していたのである。(この文章どこかで読んだんだけど格好よすぎて死ぬ)

と、門前の立て看板だけで無駄に興奮しながら入った頃には、とっくに母がチケットを買っていてくれました。ほげあ。

庭の前に資料館を見てまわったのは一重に私が興奮しすぎていたからでしょうか。
ガタはやっぱりメガネかけてた方がいいと思うよ!!
あとガタ愛用の遺品がありまして…もうこれだけで私はね…!やだ本当にこの人の趣味いいわ…。
どうでもいいですけど朝に入ったのに、私の前に2組おられまして、1組はただのカップルだったんですが、もう1組は外人さんと日本人でした。
一体この日露開戦の場所をどう思ったのか、それとも単なる庭趣味か、どうしてこんなレア場所をチョイスしたのか、気になる私w

洋館の2階が、無鄰菴会議がひらかれた場所でした。
まあよく考えたら、今になって思えば、なんで総理と外相だけの会議じゃなくてそこに元老とか政友会総裁とかいるのって感じですけど。。
本当に元老ズに振り回される第二世代(しかし強かに育っていくわけで)御苦労さまですわ。
会談は午後4時から2時間にわたったと…ちょっと皆知りすぎ…じゃないですか…??新聞さん??
ていうかたかが…2時間で開戦決めたの…?(まあブミの停戦作戦が失敗した時点でそうならざるを得ないのは承知してるんですけどね…その2時間で一体このメンバーで何を喋ったのだろうか気になるわ)

普通に考えて狭い部屋でした(爆)
いや…ここに男4人だと…一人は棒からいいとして(OI)、にこぽんちゃんとこの椅子に収まったのかな?(馬鹿にしすぎ)
挙句机とかこれ本当に資料とか置く場所ですらないよね。お茶とか程度だよね!!
一つだけ椅子が黄色でぴかぴかしてるんですけどやっぱりそこにはガタ閣下が座られたのでしょうか。
本当にあの…2時間も何喋ったの…。
誰か教えて。あれかな。やっぱりブミが「ごめんごめんもう開戦するしかないよねーあーでも俺本当に開戦とかしたくないんだけどロシア怖い」とかごねごねして、でもにこぽんが「だってもうするしかないじゃないですか、腹くくってください、予算ください」とか言って、ガタが最後止めに入るとかもうどんな…どんだけじゅった空気なの(私の中で)
あっでもあの椅子の奥の方に長椅子があったりして、やっぱりここだろブミの定位置はって思ったりして。
超暗いのは日光を入れない作りになってたのと(保存のため)、no flashだったからです。

しかしこの部屋、天井も壁画も実に豪華でした。狩野派ですからね。しかもたぶん本物。
ガタには全く興味を示さない母も、感動していたレベルです。さすがガタ。金持つとやることが違う。
ていうか本当にガタが文化人でよかったよ…。

となりの部屋にはガタ愛用の家具。
この椅子にガタが座って…メガネかけて…机になんか置いて…
読んだと想像するだけで私の中の何かがはじけそうでした。

ちなみに階段の手すりは、どうか知りませんがよく考えたらこれって彼らも触ったんじゃね?という結論にいたり、一応触っておきましたw気持ち悪いw
あと階段のじゅうたん、色が大分禿げてたけど、もとの色は赤だったんだと思う。
レッドカーペットとかまじでガタそんなことしちゃってたの…。

出たところには茶室がありました。
もちろんここにもブミとかかおるんとかたろちゃんとか下手したらミヨとかきたんだろと思うにつけても、じっくり見てまいります。
母がお茶にも興味ある人でよかった。



庭園は…ええとこじんまりした中にも素敵な空間だったと…
すみません私庭園なんてよくわからないのです。
でもそこに、たぶん天皇陛下かな?賜った松とかあって、ガタったら本当に意外にねえという気分になりました。(もはや気分は時山である)
素敵だったよ…でもほら夏だからさ…むしさんとかたくさんいるしさ…(軟弱な現代人)


それで、もう一つ萌えポイントがありました。
額っていうのかな…正直読めないので一体誰が書いたのか謎すぎるですが。
お茶室(ここでお願いすればお茶が飲める)にあった額。
あの…私本当に誰かに通訳してほしい気持ちでいっぱいなんですが…えっと…
最初に奇兵隊って文字が見えるんですけど…あの…ガタ様の生涯だったりしますか?
最後に三州長尊って書いてあって、一瞬長州三尊と読み間違えたんですけど…
ガタが静かな別荘もとめて作ったところに酔っ払って押しかけたお神酒徳利+山田とか想像して…もう禿げた…。
ここ作ったの1894-96…駄目だ山田もういない気がするわ…。

床の間にあった掛け軸まで立派に見えてくる。これも読めない。くっそ。