伊達市内観光

歩いて市街地なら十分回れます。
海もあって、山もあって、とても空気は澄んでいる。すぐ近くの室蘭とか苫小牧の影響はあまりないです。けむりもくもくとかないもん。

伊達というのはもともと伊達成実さんのところの子孫が北海道に維新を機会に異動したってことなんですね。
むしろなんで仙台藩ってそうか譜代だっけ…よくぞ官軍と戦ったよね。会津を挟み討ちにしとけばよかったんちゃう(おまえ)
邦成様はいつかの上杉みたいなことしてますね。家臣を養うためか。
(ちなみに近くの登別にある伊達時代村。なぜ伊達かといえば、登別を開拓したのは片倉小十郎の末裔らしいです。もうだめだこの3人の愛やばい。子子孫孫にいたっている)

ってことがかいてあるはずの伊達開拓記念館は3月からしかあいてませーん。
迎賓館(黒田もきた!もしかしたら榎本さんもきたかもしれない!)も閉じてました。
冬だからね。しょうがないね。くそう。
宮尾さんの記念館もしまってたしね!

→というわけで3月になってから行ってきました。
開拓記念館の方が御親切にもちょっと説明してくださったのですが、「伊達と言えば仙台の伊達が有名ですが…」とか言いつつ、「政宗の家臣が…成実とかご存じないですよね、政宗に非常に近い方で」とかおっしゃってて、まさかここまで言われて「知ってます」とも言えずあいまいな顔をしてしまったw
「北面の警備は武士の本領、戊辰の汚名をすすぐ好機」とか書いてあるんだけど、なんかあったっけ戊申の頃…
なんで亘理を離れなければならなかったのかってやっぱり廃藩置県の影響なのか。

成実の甲冑がありましたが、なんだこの毛ww頭の毛面白いな。
前立ての毛虫は決して後退しないことの象徴。な、なるほど勇猛果敢ですね。
伊達の先祖って鎌足とかにまでさかのぼるらしいけどそれ盛り過ぎじゃない?ほんと?

中には結構蒔絵とかあって、こんなところに(結構離れたところにある)置かれてていいのだろうかとも思った。

政宗の書状とかもあるしな。長光もあった。
政宗の書状と言えば喧嘩した後の「この頃あってないけどどーよ」書状しか知らないけど、結構ナチュラルな書状多いよな。

黎明観は唯一あいてました。刀鍛冶さんが刀うってたよ。藍染めもあいてました(やってないけど)。
あと歴史の社であるところの道の駅は結構な勢いで野菜売っててここはあれかスーパーかと思いました。
そうだここにあるパン屋さん。さくさくで美味しかった。個人的にはチョコパンの方が好き。

宮尾登美子さんの記念館あったけど、私寡聞にして存じ上げなかったんですけど亡くなってたんですね…びっくり。
→ここも割と品の良い女性に案内していただきました。平家物語を女性の視点から。これが義経の原作だと?義経関係なくない?平家の女性のその後を描く以外関係なくない?平家物語ってやっぱり清盛の物語じゃないですか。
あとあっちゃん大河も原作の方だったんですね。今後読もうっと。
すごい「女性」って感じの方でした。しかも高知の方だったらしくて、高知の方言が館内に響く。炎のミラージュ思いだすわ。