極蘭ソングであるところの花冠

流れる白い砂に埋もれてく躯 花は落ちて殺伐とする無人の城砦 

 

『髑髏城の七人』DVD

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  • 発売日: 2013/05/24
  • メディア: DVD
 

 

「あの日わたしが他の選択肢を切り捨てて君を選んだら変わったというの?」極楽はあくまで無界の女だったし雑賀の女だったけど、それよりも蘭兵衛が好きだったかというとそうでもないんだろうなって。
彼女は強い女だったし、その強い女だからこそ蘭兵衛も助けて「あいつらがいたからここまでなんとかやってこれた」と思って(それが偽りの自分であったとしても)天のところに自分を連れて行ったのだと思う。

「固く繋ぎ合った手をすべて失くすまで」いやほんとうあの無界大虐殺衝撃的すぎるやろ。蘭兵衛も蘭丸も、どっちも自分で、蘭兵衛として生きてきた自分も蘭丸としての自分もどっちも彼自身で、蘭丸である頃のそぎ落とされた自分に戻っていったのも自分の意思なんだから。
極楽にしてみればひどい裏切りかもしれないけど、もともとどんな契約で無界を作ったか知りませんが、そういう「守らなくていい」女であることを選んでしまったのは極楽自身だったかもしれない。共同経営者としての。

「踏み外すこの足を許し合えないなら何の為門は開いて招き入れるの」
最初に蘭丸であることを理解した上でも受け入れたのは極楽だし、次にツンデレ蘭兵衛も極楽に心は開いて一緒になんとかやってきて、最後にももうどうしょうもないってわかって「来い」って言ったのも蘭丸の優しさだよな。愛だよな。もしくは子供の我がままだよな。
一応理由知ってた狭霧ちゃんはそういえば蘭兵衛は一応商売しにいったんだよと言うことはあるのだろうか。言うとしても捨にくらいしか言えないし言っちゃいけない気がする。今更極楽に涙なんて流させてはいけないんだろう。思い出させるのもつらいようなことはそのまま風化させておいてほしい。

流れる白い砂に埋もれてく花は主を失くした荒廃の海に沈む城砦
私の中でこの「花」は蘭丸です。異論は認めない。
いやインタビューでも蘭丸は信長に包み込むように愛されてたみたいなこと言ってたしな。それ勘違いだっけ?たぶん天は信長に暴力的な常に試されているようななぶるような愛を受けていたっていうのの対比で。クソ萌えるわ。

極楽の胸に咲いた「一輪の花が音もなく崩れ」て蘭丸になって、「あたたかく揺れている君の面影もこのわたしを呼び戻すベルにならない」から。もう蘭丸は蘭丸として生きることを受け入れてしまったから。迷い続けて無界の里も捨てて、最後の最後に迷わずに動いたことが真実だったから。
だから最後はせめて彼女で彼女の蘭兵衛に引導を渡して、「天とともに生きる」ことを選択した。
蘭丸なんて最初から最後まで天自身を見てなくて、信長様という圧倒的な天しか見えてないような。そんな上を向いてしか歩けない人だったけど、一瞬蘭兵衛として足元に目を向けて、でもその目線を下に向かせたのは紛れもない天が堕ちた瞬間という本能寺だったわけでしょ…。

「愛しい人よ せめてわたしを切る時は瞳開けて滅びゆく瞬間まで看取って」あそこで極楽が蘭兵衛に殺されない挙句殺させるってあたりがしみじみ蘭兵衛って受けだよなあって思う理由ですね。蘭極って書くのが正しいCPなんだろうけど精神的にはもう極蘭だろ。
「あんたは最後まで」っていう、もう裏切られた以外の気持ちが蘭丸に「来い」って言われてぶわっと出てきてしまうところ。なんでよって殴ってやればいいよ。だって蘭丸はこの状態だって無界の女たちのところになんて行かないんだ。ただひたすら天だけを追っていた。

「愛しい人よ 君に出会えた喜びに花咲かせた穏やかなわたしはもういない」最後に極楽が、私の名前は竜胆よって言えて、そっと蘭兵衛の思い出をうずめたように。
いとしい天にやっと出会えた蘭丸がその想いを経ても花を咲かせられますように。

 

花冠

花冠

  • 発売日: 2013/04/03
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