刀剣男子の関係性

今江戸攻略中(花火打ち上げてるけど)の私の中での関係性が決まってない二刀がいくつかあるんですけど、

まず燭台切光忠一文字則宗

則宗が後鳥羽の時代で光忠はそのあとと思うので、一文字則宗のほうが年上、これは備前のパンフにも書いてあったしよいと思う。お互い備前の違う流派の祖だけど、則宗光忠の交流あまり出てこないよね。どっちかいうと則宗古備前の末の印象があるが。(鶯丸と則宗もよくわからんな)備前が衰退したときはお話くらいしたかなぁ?みっちゃんも織田だの伊達だ水戸だの行くからもはや話し相手でもなかったのかもしれませんが。名前を与えられた伊達としての意識強そうだもんみっちゃん。

一つひっかかかるのが山鳥毛問題、上杉の台帳では長船の兼光と思われていたと。まああまり交流ないといっても似たような刃文だろうし同じ備前だし、全然仲良しなのかもしれませんけど、わたしちょも則読み過ぎた経緯で、山鳥毛が上杉で長船と思われて一文字の神域から閉め出されてさみしかった御前を信じてるので、、そして一文字とされて戻ってきたらいきなり御前が物語りの王子様(沖田君)に感じ入ってお頭ゆずっていなくなっちゃったの定説みたいになってるじゃん。(?)その流れでの光忠にうちのが世話になったなっていう御前受信しちゃったけど御前は歪な受けだし光忠も人がいい攻めなのでなにも生まれない、生まれないので逆にもやつくので、答えをどこかで出したいところ。山鳥毛もクラファンかけられまくってて一文字にしろ長船にしろ備前の誇りだよな。

一文字則宗は物語の中の刀が入っているわけで比較的新撰組と一緒の場合関係性がわかりやすいけど、その中での同じく物語の中の刀である長曽祢虎徹と相当立場はにてますよね。長曽祢虎徹一文字則宗との関係性も気になるところです。

蜂須賀虎徹源清麿と一緒に出陣したのもなにかの縁でしょうけど、ここあまり掘り下げないよなあ、、どちらかというと長曽祢のありかたへの言及が強い。ただ蜂須賀虎徹は蜂須賀自身というより長曽祢虎徹がわかれて独立したことで蜂須賀の銘を与えられた的なところがあるような、もともとは長曽祢虎徹だったわけでさ…!自分の名前をとられて有名になった虎徹がわざわざ虎徹…?といいながら実戦刀として導入されるの辛くないですか?まあ二振りとも愛されているからなんでしょうけど。蜂須賀のそういうところ、私は好きです。審神者が闇落ちしたらちゃんと止めてくれそうな初期刀と信じてる。

ただそれと同じくらい一文字則宗が「沖田総司の刀」として、間違っていても有名になって、一文字則宗が顕現したときに大和守安定がちゃんと物申したように、物語の刀として有名になった一文字則宗長曽祢虎徹にたいして蜂須賀虎徹も複雑な感情があるのではないかなと思っています。本来なら自分の立場だったのにね。一文字則宗がちゃんと清光たちを構うから、それを近くで見ながら微妙な気持ちになりませんか長曽祢虎徹?どう?長曽祢虎徹は自分が「虎徹」と思われるほどに立派だった実戦刀であることを信じてるからその愛だけで立っていられるけど、その愛が他者の愛を踏みにじってることにたいして鈍感であると思います。それを一文字則宗によって認識させられてほしい。そしてますます蜂須賀が遠い。

贋作の虎徹にたいして真作の虎徹であることがアイデンティティの二振り。お互いがお互いの鏡すぎるんだよ。そうして長曽祢虎徹が「虎徹…?」で顕現した時点でそれほどの実戦刀を虎徹と信じた近藤勇の愛は虎徹全体を救うし、真作代表蜂須賀虎徹長曽祢虎徹を贋作と断じることでより長曽祢虎徹源清麿から分離して独立できるので、あの2人は2人でアイデンティティを確立しているのかもしれません。その場合浦島とは?(緩衝材?)

鶴丸と御前というじじいぶってる割にまだまだ小烏丸からみたら若いよね的な刀を受けにしてしまうのですが、その二人が因縁ある伊達組や一文字から世話焼かれるのみるのたまらなく好き。ちなみに御前を近似にしたら引くほど刀装作りが下手だったんですけど 鶴丸はむちゃくちゃ作ってくれる、なんかぽいですよね。

ウィキ参照なんですけど鶯丸のほうがぎりぎり三日月よりおじいちゃんじゃないですか、古備前古いな。大包平はかろうじて平安末期、それは鶯丸は大包平をかわいがりますね。そして大包平も三日月とそこまで離れてないからこそあれだけいえるんだろうな。普通の若い刀、三日月にそこまでいえませんもんね。そして五条は三条小鍛冶宗近の弟子なだけで実はおそらくそこまで若さに差がないんだろうけど鶴丸と三日月、ぜったい勝てない鶴丸っていうのも乙ですよね。鶴丸の波瀾万丈さほんとよい。 鶯丸と鶴丸、御物組として平安刀として続けて手入れされて月2で会ってるとは思うのですが、全くなにも想像がつかないこの2振り。

それよりは安達組としての鶴丸と髭切がいいですよね、霜月騒動大好き。鎌倉殿の13人からの北条時宗の流れがよすぎるんですよ。太平記は見てません。安達様、鎌倉殿で頼朝の乳母兄弟(的な)でいい人で落ち着いて会話ができて、特に野心もなかったから北条に見逃されてた~!そして北条時宗ではギバちゃん!!ピーターが文官ならギバちゃんは武将ってかんじで大変よろしゅうございました。そのギバちゃんを追い落とした北村一輝の頼綱はもとはといえば鎌倉殿で「鶴丸」と呼ばれた金剛もとい泰時のズッ友幼なじみの子孫です。・・・は????いや千鶴丸との関係だけだと思って見てましたけど、ここで鶴丸もってきます?萌だけで言うなら鶴丸という守り刀を墓場から掘り起こすの、結局長崎家も安達家も鎌倉末期まで権力持ってたことを彷彿とさせますね。

髭切は完全に平清盛からですが(大河ドラマにしつけられすぎている)、というかともすれば鶯丸よりおじいちゃんなの髭切・・・なに膝丸も同じくおじいちゃんなのにこの差は。おそらく安綱も宗近も友成も10世紀あたりから名前が出てくるので大差ないのかもしれませんが。1000年もある刀たち。

霜月騒動のときの髭切は赤い色をかぶせられてるけど、そもそも高田崇史に鍛えられて北条は平家!たまたま源氏っていう異物が入ったけどそもそもは平家(東国と西国)の争い!という強い意志を引きついでいますねわたしは。少なくとも源氏の宝刀である髭切膝丸を、鎌倉殿でいうところの安達(頼朝の味方だぜ!)が引き継いで、その源氏と安達を潰した北条にいったことになにか思うところがあるのかな、、とはおもっています。わからない、、いつの間に北野にいったのかも結局よくわかりませんでしたし。髭切膝丸、伝承の中の刀といったほうがしっくりきますよね。 伝承はわからないけど、安達組として、髭切も鶴丸もいたであろう、安達の権力はやっぱり素晴らしかったんだなと思うし、霜月騒動の容赦のなさ、、というかそもそも鎌倉そんなんばっかりだったわ、鎌倉時代に思いをはせます。その前は三浦だったわけですもんね、宝治合戦。 まーしかし以外と貞泰さまは生きてた説もありますし鶴丸は幼子と一緒に墓にはいったわけじゃない説ありますけどいい!幼子抱えて墓まで行く鶴丸解釈一致だからさ!!三条五条よりもどちらかというと古備前に近い髭切膝丸、うーん年齢差があってよいなこの兄弟こそ鶴丸を子供扱いしそう(三条はあくまで弟)