やっぱり山姥切とは@國學院大学博物館

三嶋の神のモノガタリ-焼き出された伊豆の島々-

流された神々が戻ってくる…(急に)山姥切国広のはなしをしていると聞いて行ってみました。東京いく用事もあったしね。そしてフリーなのすごいな。

三島や伊豆はそもそも地震や火山があり、それが時の政府()天皇にとってまずいから鎮めなければという発想に至ったのでは?と思った、あの時代、地震とかあると天皇の加護がないからでは?とか言われてるもんな。それはあの時代だけではないけどな。(一緒に関東大震災の頃の混乱期のはなしもあり、かつ東日本大震災の頃の話もあった)

下田白浜は伊豆諸島を一望できる、とあり、それが信仰になったのではあれば、その下田に乗り込んできたペリー、かなりイイ線いってたのでは??逆かな、その下田に江戸の海洋産業が盛んであったのかな? 頼朝も三島にお参りしてるからそのへんの豪族たち(鎌倉党)の支配権も願ったろし、足利尊氏と喧嘩した直義が頼るのもそうなんよな。あのあたりはやはり海洋へ出るのに重要だったんでしょうか。

さてさすが大学、「我が国における刀剣研究は、~早くから多くの刀剣研究者を輩出してきた」のプライドよ。杉原氏、数珠丸も再発見した人らしい。国広が相州伝を取り入れた堀川打最初期の画期的作品であると。本作長義のうつしとされて足利城主長尾氏の求めでうたれ、北条旧臣が信州小諸の山奥で赤子を食っていた老婆を切ったため、「山姥切」の号がつけられた。まあじゃあやっぱり山姥切は国広の号では?わたしはとくびに近いので本作長義との付き合いが長く、山姥切は国広のほうの伝説だと思ってはいる。これだけ読むと備前でありながらもっとも備前離れして相州ぽい長義、をしっかり取り入れてる国広っていういい話じゃないか。(だからあんな「おまえたちの死がきたぞ」なんだよな、相州みがすごいんだ)

山姥切国広、わたしそこまでまだよく彼のこと知らないんですけど(なぜ極めにしたんだ)、杉原氏が焼けてないよっていう…っていうか関東大震災で焼けそうになった(焼けた)刀も多いな。へし切もそんな目にあいかけてなかったか?つくづく大阪といい空襲といい、日本刀は火からおきて火にかえる。