糺の森を抜け出せば…

親がようやく予約が取れたお店があるというので、食べに京都まで行きました。
でもそれは夕食なので、それならば、とお昼から京都を散策することにします。

名古屋の天気は晴れ。京都まで新幹線で(親の金だから!)行くのに、1時間もかからない、のに…。
出町柳まで行く間に、雨時々雷になっていました。なんで!日ごろの行い!?ポルタでナポリタン探してたのが悪かったの?w
本来は出町柳から鞍馬まで叡山電鉄に乗っていくつもりだったのですが、この雷の中山登りする勇気はない(下手したら死んでしまう;)ので、鴨川を渡って、近くの下鴨神社に行くことにしました。

正式には「賀茂御祖神社」かもみおやじんじゃ、と呼ぶようです。世界遺産や国宝の文字が眩しい。
ご祭神は「賀茂建角身命」かもたけつぬみのみことと、「玉依媛命」たまよりひめのみこと、です。
賀茂建角身命」は古代の京都をひらかれた神様です。と書かれていて、じゃあ歴史的にどこそこの天皇だったのかしら?と思ってWiki先生に頼ってみると、神武東征の際、天照にお願いされてヤタガラスになって先導した人らしいです。
…あれ、それってもしかして高倉下ですか?(@熊野の残照)裏切って、先導して、結局殺されて、八つに裂かれた。
ヤタガラスの「あた」は長さの単位、「やあた」は大きい、巨大という意味で、「烏」は太陽の象徴だそうです。
玉依媛命」は彼の娘で、瀬見の小川の上から流れてきた丹塗矢によって神の子である「賀茂別雷命」を産んだ、とか。キリスト教もそうだけれど、神話って割とお母さんは出てくるけどお父さんって神様だよね…。
別雷命は上賀茂神社の祭神なので、下鴨神社は「賀茂御祖神社」と呼ぶらしいです。
賀茂って私の中では賀茂のお師匠様(ハルさんのお師匠とその息子)たちです。タタラ筋ですかね(@姫神さま)

糺の森を通って本殿に向かいます。
糺の森って、どうしてこのような言い方をするのでしょうか。何を糺すんだろうって、この名前を聞いた時からずっと考えていました。
実際の糺の森は、緑が綺麗な、心洗われるような場所でした。このような場所を見て育った京都の人が、お抹茶に走るのもわかるような。
糺の森は昔湯川博士が歩いていたという話で、実際に私の親も会ったことがあるそうな。
本殿の前に相生神社があります。
連理の賢木と一緒に。比翼連理という言葉通りになる神社だと思うのですが、…しばらく用はないわ!と無視しておきました(10年後に後悔するかしらw)
本殿の前に行く頃には、雨もあがっていました。
そして結婚式が行われていました。神前結婚は素敵だなあと思います。
変わってるなあと思ったのが、「えと詣」として、えとの社にご参拝すること。たつ年の私は「八千矛神」だそうです。しかし書いてある名前が全員大国主命の別名なんじゃないかと思うのは私の気のせいですか?(大国主を神の集合体ととらえるなら個々の名前と思ってもおかしくないんですけど)
そして本殿の前にあるということは、大国主にお参りしてから、賀茂の御祖神にお参りしなければならないのかしら。
本殿のお近くまでは行けず、遠くから参拝しました。行けたのかしらね?
御朱印を書いていただいている間、ぐるっとまわって見てみます。
葵祭りの大元だけあって、色々ありますね。
摂社に柊社があり、ここには須佐之男命が祭られています。大国主といい、なんで一緒に祭ってあるのかなあと思うと古代ロマンが膨らみます。
斎宮が禊をおこなう井上社もありました。(一瞬井上内親王を思ってびびったが違った)

そういえば糺の森から一直線でした。神様いつでも出れちゃうよ?
他とは一風変わった神社だ、というのが印象です。
古代はまだまだ、謎の尽きない時代だなあと思いました。
その文化を、延々今に伝える京都というのはつくづく偉大です。